新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大は、医療現場が抱える課題を世に広く知らしめることになった。以前から医師の平均残業時間は月間160時間を超え、「過労死ライン」とされる月80時間の2倍である。医療現場で働き方改革がなかなか進展しない理由のひとつは、デジタル化の遅れだ。そこに一石を投じるスタートアップ企業が、AIで問診を行うサービスを提供する、Ubie(ユビー)株式会社だ。代表の久保氏は、学生時代から「医療×AI」で世界に打って出ることを志し、病名予測アルゴリズム開発に取り組んでいた。その起業ストーリーを聞いた。
久保恒太(くぼ・こうた)
Ubie株式会社 共同代表取締役/エンジニア
東京大学大学院工学系研究科卒。エムスリー株式会社で約2年、医師Q&AサービスなどのBtoCヘルスケア領域のソフトウェア開発および、Webマーケティングに従事。学生時代にはビジネスコンテストでの優勝、医療ベンチャー企業や医療機器開発企業でのソフトウェア開発を経験。2013年東大在籍時に医師の病名予測をシミュレーションするソフトウェア及びアルゴリズムの研究/開発を開始。2017年に阿部吉倫氏(共同代表取締役/医師)とともにUbieを創業。
AI問診で、医療現場の課題を解決する
医療機関を受診すると、まず手渡される紙の問診票。医学知識のない患者の立場からすると、症状を正確に記入することは難しい。そもそも体調に異変が生じた時、どのタイミングでどの医療機関に行くべきか、その判断もできない。それは医師の立場からすると、患者の情報を適切なタイミングで、正確な症状を捉えにくいということだ。さらには、紙の問診票に書かれた内容や診察時に得た情報を電子カルテに入力するという手間もかかる。テクノロジーがこれだけ発展している世の中で、未だに非効率な面が多いのが医療の領域なのだ。
そうした医療現場の課題に「テクノロジーで人々を適切な医療に案内する」というビジョンで風穴を開けようとしているのが、医療×AIのスタートアップUbie株式会社である。
Ubieのプロダクトは、生活者(個人)向けと医療機関向けの2つのラインで展開されている。生活者向けの『AI受診相談ユビー』は、問診AIが投げかける質問に回答することで、適切な受診行動ができるようサポートする無料のサービスだ。
そして医療機関向けの『AI問診ユビー』は、紙の問診票をタブレットでデジタル化するだけではなく、あらゆる病気を網羅したAIが患者の回答に合わせて的確な問診を行う。問診の内容は医学用語に置き換えて電子カルテに自動で格納されるため、入力作業が大幅に削減できる。さらには、問診内容からAIが複数の参考病名を表示するため、見落としを防ぐこともできる。実際に導入した医療機関では、初診問診時間が1/3に短縮されるなど、改善につながっているという。
症状について医師監修の質問に答えるだけで、受診の目安として疑われる病気や対処法を無料で調べられる『AI受診相談ユビー』と、AIによる事前問診で問診の充実化・効率化を図り、医療機関の働き方改革を支援する『AI問診ユビー』
創業当時から、世界を視野に入れたプロダクト開発を推進
エンジニアの久保恒太氏と、医師である阿部吉倫氏。高校の同級生である2人が2017年に共同創業したUbieは、医療現場が抱える課題の拡大、そして医療現場に根強くあったAIに対する抵抗感の緩和を背景に成長を続けている。現在は比較的規模の大きな病院を中心に展開しているが、今後は小規模のクリニックに向けたサービス提供もしていくという。
創業時から海外展開を視野に入れていることも、Ubieの特徴のひとつだ。スタートアップは1つの事業にリソースを集中すべきで、早い段階から海外展開をすべきではないという考えもあるが、久保氏は「会社が小さい時から世界を意識しなければ、どんどん日本だけに最適化したプロダクト、組織になってしまいます。だからこそ、グローバルにリーチできるプロダクトの開発を常に意識してきました」と語る。直近では東南アジアをターゲットに、シンガポールの医療機関と共に実証実験を始めている。その中で、様々な疾患に対応するデータベースの厚みとAIの精度の高さという、Ubieの強みも明確になってきた。
久保氏の創業の想いも、グローバル展開に強く影響している。「ソフトウェア領域で、日本は長らく世界に後れを取っています。私は起業を志した学生の頃から、世界に誇れる日本発のソフトウェアサービスを創りたいと考えていました。そして、日本の強みを発揮できる領域を考えた時、一番大きな可能性を感じたのが医療だったのです」。国によって医療を取り巻く環境は異なり、それぞれ課題がある。それは、裏返せばチャンスも大きいということだ。ゆくゆくは、アメリカや中国といった大きなマーケットを目指し、Ubieの躍進は続く。
お笑い好きの学生が、医療×AIで起業を志すまで
大阪出身の久保氏は、子どもの頃からものづくりが好きで、高校生の頃は漫才をしたり、洋服を作ったりしていた。難関大学進学者が多数いる高校ではなかったというが、漫画『ドラゴン桜』の影響を受け、共同代表の阿部氏と共に受験勉強に没頭。阿部氏は東京大学理科三類に、久保氏は京都大学工学部に進学した。「この時点では起業も、ソフトウェアエンジニアになろうとも考えておらず、洋服が好きだから繊維業界に行けたらいいかな、と考えて工業化学を専攻しました」
進学先の京大で、久保氏のキャリアに強く影響を与える出会いがあった。マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の経営コンサルタントで、当時は京都大学で教鞭を執っていた故・瀧本哲史氏だ。「その頃、リーマンショック後で景気は大きく後退し、起業ブームも下火でした。しかし瀧本先生は、教え子から起業家を輩出することを自らのミッションとして、学生を奮起させていたんです。新しいビジネスを生むことの素晴らしさを熱弁する瀧本先生の考えに、強く影響を受けました」
起業するなら、強みを磨かなければならない。そこで久保氏はソフトウェア領域への転向を決意。そして1年間独学でプログラミング等のスキルを身に付けた。同時に、どの業界で起業をするのか、可能性を探った。農業や教育など様々な業界を検討したが、最終的には課題が深く、日本の強みが世界に向けて発揮できそうな医療業界に照準を合わせた。そして、学部での専攻が異なる学生も受け入れているAIの研究室があることを知り、東大大学院への進学を決めたのだ。
就職した経験が、プロダクトも自分自身も大きく育ててくれた
大学院での主要研究テーマは異なる領域だったものの、サブ研究として病名予測アルゴリズムの開発を進めていた久保氏。研究の傍ら、エンジニアとして実務経験も積みたいと考え、理系ナビの長期インターンシップ派遣サービスを利用して、医療業界向けデジタル広告サービスを提供する企業で実務を経験する。「実務経験を積むことで、研究だけの世界とは違う社会の仕組みを学ぶことができ、貴重な経験でした」と、久保氏は振り返る。
そして、修士課程を修了し、医療関連の情報サービスを幅広く展開するエムスリー株式会社に入社した。学生起業ではなく、就職をした理由を久保氏に聞いた。「プロダクトは一定の形になっていたのですが、精度にまだ不安がありました。また、私自身、社会人としてまだ自信がなく、起業に懸念もありました。そこで、エムスリーで働くことでプロダクトも私自身も成長できればと考えたのです」
その選択は正解だった。久保氏が着任したマーケティングエンジニアというポジションは、「マーケティングをしながら、そこで得たものをエンジニアとしてプロダクトに落とし込むという、他にないポジションでした。AIの健康相談サービスを担当したことから、患者サイドのニーズを知ることもでき、得難い経験ができたと思います。また、エムスリーに就職して良かったのは、伸び盛りの会社で色々な仕事ができ、鍛えられたこと。就職を考えている学生さんは、これから伸びる可能性のある領域、新しい産業に積極的に飛び込むべきだと思います」
東大医学部に進学した阿部氏との交流も、ずっと続いていた。そして、医療現場の課題を当事者として感じていた阿部氏は、久保氏の医療×AIでの事業構想に賛同。久保氏のAIの強みと、阿部氏の医療の強みを掛け合わせ、プロダクトを一緒につくり込んでいったのだ。そして2017年、Ubieの創業に至る。
起業するなら、早く始めて、早く顧客を見つけること
現在は医療×AIの領域でプレゼンスを高めているUbieだが、創業時は採用、営業、資金調達など様々な面で壁にぶつかったという。「組織の基盤が整っていない段階から、歯を食いしばって一緒にやっていく仲間を集めるのはとても大変でした。また、『AI問診』も今までにないもので、医療機関に営業に行っても理解してもらえないことばかりです。さらに、資金調達でも相場が分からず、様々なところからノーと言われながら、自信を保つのは大変でした」。それでも、「テクノロジーで人々を適切な医療に案内する」というビジョンに共感する仲間が、少しずつ集まってきた。そしてある時、複数の大学病院や大規模病院と実証実験をすることになる。そのニュースは業界を駆け巡り、医療機関からの問い合わせが増えていったのだ。
多くの壁を乗り越え、今後もさらなる事業拡大と海外展開を目指す久保氏。最後に、起業を考える学生へメッセージを送ってくれた。「創業当時は、中途半端なプロダクトだと世の中に否定されると思い、なかなかリリースに踏み切れませんでした。でも今思うのは、もっと早く顧客を見つけて、フィードバックを貰えばよかったということです。とにかく早く始めて、早く世に出すことをお勧めします。また、起業したいけれどテーマが見つからないという悩みを抱える方もいるかと思いますが、最初から熱烈な想いを持てる領域を探すよりも、世の中の課題がどこにあるのかを見つける方がいいです。私自身も、当初から医療に関わる強烈な原体験や熱意があったわけではありません。強みを活かせる土俵、日本から世界に打って出ることができる領域を探して至ったテーマであり、やっているうちにどんどん熱中していきました。まずは課題を見つけて、一歩を踏み出してみましょう。困ったときは遠慮なく相談してくださいね」
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