トップインタビュー(株式会社HIROTSUバイオサイエンス 代表取締役 広津崇亮)


生物の能力は、計り知れないものがある。線虫という体長1ミリ程度の生物は、その優れた嗅覚で、がん患者と健康な人の尿の匂いを嗅ぎ分けられるという。株式会社HIROTSUバイオサイエンスの代表・広津崇亮氏は、九州大学大学院理学研究院助教時代に起業し、線虫の嗅覚を用いた画期的ながん検査『N-NOSE』を実用化させた。

研究者だった広津氏が、いかに「線虫によるがん検査」というテーマに出会い、起業に至ったのか。その半生を紐解くと、世の常識に流されない意志と、チャンスを逃さない決断力が見えてきた。


PROFILE

広津 崇亮(ひろつ・たかあき)
株式会社HIROTSUバイオサイエンス 代表取締役

 

山口県生まれ、京都府育ち。博士(理学)。1997年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。同年サントリー株式会社に入社。翌年退社し東京大学大学院理学系研究科博士課程に進み、線虫の嗅覚に関する研究を始める。2000年、線虫の匂いに対する嗜好性を解析した論文が英科学誌『ネイチャー』掲載。2001年同大学院理学系研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、京都大学大学院生命科学研究科研究員、九州大学大学院理学研究院助教などを経て、2016年に起業。2020年1月、『N-NOSE』を実用化。https://rikeinavi.com/guide/wp-admin/post.php?action=edit&post=11425#

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簡便、高精度、安価。画期的ながん検査『N-NOSE』


日本における死因第1位、「がん」。早期発見・早期治療が重要だが、日本のがん検診受診率は3~4割程度と、他の先進国と比較して低い。がん検診の受診率を上げ、早期発見につなげることで、がんで死亡する人を減らせないだろうか―こうした社会課題に挑むのが、線虫によるがん検査『N-NOSE』を提供する株式会社HIROTSUバイオサイエンスだ。

そもそも、がん検診受診率は、なぜこれほど低いのか。国が推奨する5大がん検査は、がん種ごとに受ける必要があるため、「面倒だから」と後回しにされがちとなっている。一方腫瘍マーカー検査は比較的手軽に受けられるものの、早期がんに関する感度はとても低い。簡便・安価・高精度、かつ一度の検査で全身網羅的に調べられる、そんな検査方法が確立できないか―広津氏は、課題解決の糸口を、体長1ミリ程度の生物、線虫の持つ嗅覚に見出した。線虫は犬の1.5倍の嗅覚受容体様遺伝子を持つため、その優れたセンシング能力でがんの匂いが識別できるに違いないと考えたのだ。

がん患者には、健康な人にはない特有の匂いがあるという。そして線虫は、がん患者の尿に集まり、健康な人の尿からは逃げる性質があることを、広津氏は突き止めた。この性質を利用すれば、尿1滴で、ステージ0~1といった早期がんの検知も可能となるのだ。かつ、線虫は多様ながん種に反応するため、全身網羅的な検査ができる。さらには、高精度センサーのような開発コストも、犬のように飼育コストもかからないため、安価な価格設定が可能だ。こうして、尿1滴・10,780円(税抜価格9,800円)で、全身のがんリスクを9割近くの精度で調べられる『N-NOSE』は誕生した。

線虫の優れたセンシング能力

犬の1.5倍の嗅覚受容体様遺伝子を持つ線虫の優れたセンシング能力を活用すれば、ステージ0~1といった早期がんを尿1滴で検知でき、多様ながん種に対する全身網羅的な検査も可能に。



「がんの一次スクリーニング検査」という新領域を開拓


「線虫」のインパクトが強いが、『N-NOSE』の先進性はそれだけではない。“がんの一次スクリーニング検査”という新しい市場を生み出したことは、実用化する上で不可欠の要素だ。まずは『N-NOSE』で、がんのリスクを調べ、そこでがんリスクがあるという結果が出れば、本来受けるべきであるがん検診を受ける人が増えるはずだ。これは新しい発想だったが、同様の課題意識を持つ医師も多く、広く医療業界に受け入れられた。現在も、国内外の医療機関や大学と共同で臨床研究が進められている。

『N-NOSE』は、2020年1月に実用化され、当初は医療機関経由で提供されていた。しかしコロナ禍で、がん検査の受診率がさらに低下したことで、2020年10月に一般発売を開始。さらに2021年2月、検査申し込み・検体提出・結果受領まで自宅で完結できる『N-NOSE at home』を、東京・福岡から提供している。今後は全国展開を目指し、より気軽に受けられる体制を整えていくという。

広津氏が描く次のステップは、「がん種を特定すること」であり、2022年中には第1号の実用化を目指す。「がん種ごとに、匂いが異なるというのは、以前から言われていたことです。しかし、機械で判別するには微量すぎて、未だ成功した事例はありません。線虫は遺伝子組み換えが容易な生物であるため、特定のがん種だけに反応しない線虫をつくれば、がん種の特定ができるようになります」。がん死亡者数の低減に向け、広津氏の挑戦は続く。


型にはまらぬ選択の連続で辿り着いた、生涯のテーマ


山口県で生まれ、京都の京田辺市で育った広津氏。成績が良く高校では教師に医学部受験を勧められたが、ある時「これからの時代は生物学だ」という塾の先生の言葉をきっかけに生物学に興味を持ち、東京大学理学部に進学することになる。

線虫との出会いは、学部時代。酵母の研究室に所属した広津氏だが、アメリカから帰ってきた指導教官から「これからは線虫がくるぞ」という話を聞き、興味を持った。そして線虫研究学生第一号に立候補し、4年生から修士まで線虫の交尾行動を研究した。

当時、研究室の学生はほとんどが博士課程に進んでいたが、広津氏は研究室の外の世界に興味を持ち、一人だけ就職活動を行う。そして修士課程修了後はサントリーに就職した。配属されたのは、商品開発部。「基礎研究配属ではなかったことに驚きましたが、花形部署で同僚も理系の優秀な人ばかり。仕事はとても楽しかったです」

一方、研究者としての道に心残りもあった。同じ部署の先輩たちに相談してみると、全員が同じような未練を感じていたという。「辞めるなら早い方がいい。しがらみができたら、簡単に辞められなくなるから」。先輩からのアドバイスを受け、1年で退職を決意。もう一度東大の研究室に戻ることになった。

生涯のテーマである「線虫の嗅覚」との出会いは、その時だ。「たまたま研究室に転がっていたテーマ」というが、そのテーマで投稿した論文が英科学誌『ネイチャー』に掲載されたのだ。当時の日本は、バブルがはじけ、“失われた30年”の只中にあった。アカデミアでのポスト獲得競争も激化する中で、「ネイチャー掲載」という実績は大きな強みとなった。東大から京大に移る際には、自らその実績を売り込んで採用になったという。

『N-NOSE』

当初は医療機関経由で提供されていた『N-NOSE』は、2020年10月に一般発売を開始。安価な価格設定で、全身のがんリスクを9割近くの精度で調べられる。



常識にとらわれない研究者が、常識を覆す「がん検査」を確立する


線虫の嗅覚が「がん」と結びついたのは、九大の助教時代だったという。研究室を任されることになったが、助教が研究費を集めるのは至難の業。そこで広津氏は、人とは違う発想が必要だと考えた。「線虫の嗅覚が優れているということを研究者は皆知っているのに、基礎研究の生物だという思い込みがあって、世の中に役立てようと誰も考えていなかったのです。その思い込みを排して、世の中に役立つテーマを検討することにしました」。その中のテーマのひとつが、「がん」だったのだ。広津氏は、科研費だけではなく、民間の財団にも応募し、研究費を取りに行った。

独自の立ち位置を確立した広津氏の研究室だが、起業を決意した理由はどこにあるのだろうか。広津氏はこう語る。「アカデミアの世界では、発明する人と実用化する人は、別の人だろうと考えがちです。私も最初はそう考えていました。しかし発明者が関与しなければ、実用化は遅れる一方です。素晴らしい研究成果が世に出ることなく終わってしまう、そういう実例を山ほど見てきました。世の中に広く役立てたいのなら、色々な人に知ってもらって、仲間を増やさなければいけません。ならば、誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分がリスクを負って先頭に立つべきです」

こうして2016年夏にHIROTSUバイオサイエンスを創業した広津氏は、2020年の1月に実用化すると公言し、検査プロセスの機械化と、臨床研究の共同研究先探しに奔走する。「臨床研究に必要な検体を集めるために、大学の医学部や病院との繋がりが必要でした。しかし、起業した時の共同研究先はゼロ。そこで、学会などで医師に自ら声を掛けて説明していったのです」。広津氏自身が実績のある生物学の研究者だったことから、対等な関係を構築でき、共同研究先は一気に広がった。そして宣言通り、起業から3年半で『N-NOSE』をリリースしたのだ。


キャリアもビジネスも、発想の転換が重要


研究者、そして起業家としてユニークなキャリアを築いてきた広津氏に、自分の専門分野でキャリアを築きたいという理系学生へのアドバイスを聞いた。

「日本では多くの人が“教科書通り”の型にはまった行動をしてしまいがちです。しかし、従来型の理系のキャリアが先細りしているのは事実です。それに対して何もせず文句を言うだけでは変わりません。何か他に有効な道がないか、自分で考えていく必要があるでしょう。

たとえば、多くの人がアカデミアに残って研究を続けたいと言いますが、問題はポストと研究費です。まず、ポストはこの先減る一方ですから、本当に大学に残らなければならないのか、よく考えた方がいいと思います。同じ領域で研究をしているベンチャー企業に入ることも一つの手ですし、自ら起業する道もあるでしょう。

次に研究費ですが、多くの人が科研費への応募しかないと思い込んでいますし、私もそうでした。ただ、科研費も減る一方です。そこで私は、民間を含めて広く集めようと考えました。「この技術が実用化すれば稼げる」という未来図を描き、その可能性に投資をしてもらうのです。そして集まったお金の一部を基礎研究に回して、自分の好きな研究をする。今では、当社の資金調達額は40億円以上です。もし科研費だけにこだわっていたら、年間1,000万円ほどが限界だったでしょう。キャリアも資金調達も、発想の転換が大切だと思います」

常識を疑い、工夫を凝らして優位性を確立する。これはビジネスでもキャリア開発でも同じである。広津氏の研究者、そして起業家としての生き方から、理系学生が学ぶことは多いはずだ。

広津崇亮氏