2024年1月20日、JAXAの小型月着陸実証機「SLIM」が、日本で初めて月面着陸に成功した。着陸姿勢が乱れたことで太陽光パネルでの発電ができず、一度は電力を失ったものの太陽の向きが変わって電源が復旧。必要なデータを取得し、新たな画像の送信に成功した。着陸成功直後の記者会見で「ギリギリ合格の60点」と少し辛口評価をしていたのが、宇宙科学研究所長の國中均氏だ。これまでのキャリアで小惑星探査機「はやぶさ」のエンジンを担当し、「はやぶさ2」ではプロジェクトマネージャを務めた國中氏に日本の宇宙開発の状況や、「はやぶさ」のエピソードを聞いた。
國中 均(くになか・ひとし)
国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 理事 兼 宇宙科学研究所長 工学博士
1988年東京大学大学院工学系研究科航空学専攻博士課程修了。宇宙科学研究所助手、助教授を経て、2005年より宇宙科学研究本部教授。1996年~小惑星イトカワ探査機「はやぶさ」イオンエンジンの開発を担当。2010年にサンプル回収に成功。2012年、小惑星リュウグウ探査機「はやぶさ2」プロジェクトマネージャに就任。2015年に宇宙探査イノベーションハブ長、2017年宇宙科学研究所副所長兼務を経て、2018年より現職。2021年紫綬褒章受章。2024年米国航空宇宙学会(AIAA)名誉会員。
誤差わずか55メートル、世界初の月面ピンポイント着陸
日本初の月面着陸に成功した、JAXAの「SLIM」。最大の功績は、世界で初めて月面の「ピンポイント着陸」を実現させたことだ。
これまでの月面着陸の精度は、数キロメートル~数十キロメートル単位で誤差が出ていたという。それに対して「SLIM」の目標地点とのずれはわずか55メートルほど。まさに桁違いの精度だ。従来の「降りやすいところに降りる」着陸から、「降りたいところに降りる」着陸へ、大きな進歩を遂げた。世界で宇宙開発の競争が激化する中で、大きなインパクトを与える成果だった。
「本当にあと少しのところで、惜しかったと思います。直前に起きたトラブルがなければ、数メートル程度の誤差で着陸できたはず。しかしながら、決して成功確率が高くないミッションの中で、満足できるデータを取得できました。今回生じたいくつかの課題を今後に活かしていきます」。そう振り返るのは、JAXA理事 兼 宇宙科学研究所長の國中均氏だ。
JAXAは今後も民間企業との協働による月面探査プロジェクトや、火星衛星探査計画(MMX)なども推進していく。MMXは火星の衛星「フォボス」に着陸し、サンプルを採取して地球に帰還するという大型ミッション。2026年の打ち上げを目指し、開発が進んでいる。「日本のプレゼンスを示していけると信じています」と、國中氏は力を込めて語った。
「月の狙った場所へのピンポイント着陸」、「着陸に必要な装置の軽量化」といった目的を小型探査機で月面にて実証する探査計画『SLIM』。(イメージCG)
Ⓒ JAXA
日本の宇宙開発の地位を大きく上げた「はやぶさ」
今でこそ世界に通用する日本の宇宙開発だが、1990年代はNASA(アメリカ航空宇宙局)に大きな後れをとっていた。磁気圏観測やX線望遠鏡の領域では一定の成果を上げていたものの、惑星探査には手を出せなかったのだ。それは、日本のロケットが小さく、大きな探査機を惑星に送り届けることができなかったからだ。そこで、小さな探査機でも世界にインパクトを与えるべく生まれたのが、小惑星探査機「はやぶさ」だった。國中氏は、そのエンジンを担当した。
2003年5月に打ち上げられた「はやぶさ」は、月以外の天体に着陸しサンプルリターンに成功した世界で初めての探査機だ。2005年に小惑星イトカワに到達、その表面からサンプルを採取した後、2010年6月に地球に帰還した。これ以降、世界からの見る目が明らかに変わった。NASAやESA(欧州宇宙機関)に認められ、縦横無尽のコラボレーションができるようになったのだ。
「はやぶさ」帰還を語る上で欠かせないのが、國中氏が開発したイオンエンジンだ。当時、「そのエンジンで惑星往復探査などできるはずがない」と、国内からでさえ否定的な意見が多かったという。その状況をどう打開していったのか、國中氏の半生を振り返りながら紐解いていこう。
日本が世界と戦うためには、電気ロケットしかない
幼少期から空への憧れが強かったという國中氏。中学生の頃には天体の写真を撮影し、自分で現像していたという。そして高校時代には天文部の部長として、部員たちと様々な天体観測方法を試した。やがて、「自分で衛星をつくって飛ばしたい」という意識が芽生えていった。
京都大学工学部航空工学科を卒業後、より宇宙への想いが強くなった國中氏は東京大学大学院に進学し、宇宙科学研究所に所属する。その際、先輩から情報収集をする中で、「電気ロケット」という研究分野があることを知った。化学燃料ロケットエンジンの分野は、既に“完成品”で研究者も多数いる、いわばレッドオーシャン。それに対して、「電気ロケットを飛ばすなんて、当時は夢物語でした。しかし、夢物語だからこそ研究のしがいがあると考えました」と、國中氏はあえて未開の領域、ブルーオーシャンを選択した理由について語る。
恩師である栗木恭一教授のもと、様々な電気ロケットに触れ、新しい実験手法に挑戦した國中氏は、研究を進めれば進めるほど「日本が世界と戦うには、電気ロケットしかない」と確信を強めたという。事実、「はやぶさ」の軽自動車程度の510㎏(燃料込み)という小さな機体での往復探査は、イオンエンジンなしでは成立しなかったのだ。ただ、風当たりは強かった。「役に立たない」「ごくつぶし」と厳しい言葉を投げつけられることもあったが、研究を続けた。
「SLIM」は、H-IIAロケット47号機(H-IIA・F47)により、種子島宇宙センターから2023年9月7日8時42分11秒(日本標準時)に打ち上げられた。
Ⓒ JAXA
ピンチをアドバンテージに変える創意工夫
イオンエンジンを主エンジンとして搭載することは、「はやぶさ」計画発表前には世界でも取り組んでいる国はなかった。しかし「はやぶさ」計画が発表された後、NASAが「Deep Space1(DS1)」というイオンエンジンを主エンジンとした惑星間探査機で、彗星をフライバイ(接近通過)するミッションを成功させた。
「追い越されたという見方もあるかもしれませんが、『DS1』は小惑星とすれ違うだけです。一方、『はやぶさ』は着陸とサンプルリターンまで一気にやってしまおうというプロジェクトです」と、國中氏は語る。日本にはアメリカのように段階を踏んでいく時間も予算もない。劣勢だからこその戦い方といえる。
「DS1」に搭載されたイオンエンジンは1台だけだが、「はやぶさ」には4台搭載。この時、「せっかく4台積むのだから」と、國中氏は“奥の手”を仕掛けた。4台のエンジンがすべて正常に機能しなくなったとしても、2つのエンジンをバイパス回路でつなぎ、1台分のエンジンの推力を得る、クロス運転の仕組みだ。
「予算もロケットの大きさも桁違い、そんな大国を相手に私たちが同じ戦い方をしても到底かないません。劣勢をアドバンテージに変えるような創意工夫が必要でした」。そしてこの奥の手が、一度はすべてのエンジン停止の危機に陥った「はやぶさ」のピンチを救い、世界初のミッション成功に導いたのだ。
その後、國中氏は小惑星リュウグウ探査機「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャ(PM)に就任。開発を進め、2014年12月に打ち上げ、2020年12月にサンプル入りカプセルが日本に帰還した。國中氏はPMとして打ち上げ成功を見届けた後、2015年に運用フェーズの体制を整え、自身は経営サイドのキャリアを歩み始めた。
困難な目標の達成に必要なのは、仲間とキャリアストーリー
着陸時は姿勢異常で太陽電池パネルが稼働しなかったものの、太陽の向きが変わって発電を開始。マルチバンド分光カメラ(MBC)による月面画像の撮影・送信に成功。
Ⓒ JAXA/立命館大学/会津大学
「夢物語」と言われたことを現実のものにしてきた國中氏に、いつゴールにたどり着くかもわからないことに挑む際の心構えを聞いた。すると、「そのミッションは何年くらいかかるのか。そして一人でできるのか仲間が必要なのか」という視点だという。
「5年程度でできることなら一人でやり切ることは可能でしょう。しかし10年20年というスパンであれば、一人では到底完遂できません。そうなれば、その人がどれほど素晴らしい仕事をしていても退職したら何も後に残らないからです。そして仲間を作ってミッションに挑む際には、『最終的に何を成し遂げたいのか』という方向性を示すことがリーダーの役割です」
さらに、「成功をいくつかの段階に分けたキャリアストーリーを描くこと」も大切だという。JAXAでは、成功基準を3段階に分けて定義している。ミニマムサクセスは最低限の結果を得ること、フルサクセスは期待通りの成果、そしてエクストラサクセスは期待を上回る成果だ。
國中氏はこれをもとに、自らのキャリアのミニマムサクセスを「プラズマ物理の勉強をして大学の先生になること」、フルサクセスを「海外から輸入した電気ロケット受け入れ担当になること」、そしてエクストラサクセスは「自分でつくった電気ロケットを、宇宙科学研究所の衛星に乗せて飛ばすこと」と設定していたという。「幸いにもエクストラサクセスを達成することができましたが、それだけを目指してしまうのは無謀です。最低限のセーフティネットを設けるからこそ、大胆な挑戦ができると思います」
セレンディピティを大切にしてほしい
國中氏から理系学生へのメッセージは、「セレンディピティ(幸運な偶然を発見する能力)」を大切にしてもらいたい」だという。「私にとって電気ロケットは、まさに幸運な偶然の発見でした。見えている景色は他の人と大差ないかもしれません。その中から他の人が気付いていない面白いもの、興味深いものを見つけられるよう、アンテナを張ってみてください」
宇宙業界では、関わる人の裾野がどんどん広がっている。東大のみならず様々な大学から業界に飛び込む学生が増えたし、宇宙ベンチャーの台頭も目立つ。そして近年では、あまり宇宙に縁のなかった企業との共創事例も生まれている。
たとえば「SLIM」では、JAXAとタカラトミーなどの共同開発で生まれた変形型月面ロボットLEV-2(通称:SORA-Q)が自動走行し、「SLIM」の撮影・送信に成功した。JAXAや宇宙科学研究所の「仲間づくり」は同一組織内だけではなく社外・業界外へと広がり、そしてさらに多くのセレンディピティが生まれていくだろう。
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