トップインタビュー(株式会社ユーグレナ 代表取締役社長 出雲 充)


世界が直面している飢餓や栄養不足といった食料問題。そして、化石燃料の枯渇などが憂慮されるエネルギー問題。我々が直面しているこれら二つの問題を、解決に導く可能性を秘めた生物に世界の注目が集まっている。その生物は動物と植物両方の性質を有した藻の一種〝ミドリムシ〟。ミドリムシは59種類もの栄養素を含む夢の食材でありながら、次世代バイオ燃料の有力候補としての研究も進められているなど、多くの可能性を秘めている。そのミドリムシの屋外培養を世界で初めて実現したのが、出雲充社長が2005年に設立した株式会社ユーグレナだ。数々の困難を乗り越え、夢の実現まであと一歩にまで迫った出雲氏のキャリアと理系学生に送るメッセージとは――


PROFILE

出雲 充(いずも・みつる)
株式会社ユーグレナ 代表取締役社長

 

1980年、広島県呉市に生まれる。1998年、東京大学文科三類に入学。学外活動の一環でバングラデシュを訪れ、グラミン銀行のインターンシップに参加。帰国後、農学部に転部する。大学卒業後に大手銀行に就職するも1年で退職し、2005年8月に株式会社ユーグレナを設立。同年12月に世界初のミドリムシ屋外大量培養に成功。現在はミドリムシの食品事業の展開に加え、バイオ燃料など様々な領域での事業化を目指し研究開発を進めている。Japan Venture Awards 2012「経済産業大臣賞」、ヤング・グローバル・リーダーズ(世界経済フォーラム主催)などに選出。近著は『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』(ダイヤモンド社)など。

 

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15年前にバングラデシュで目にした〝飢餓〟の現実


2013年1月。株式会社ユーグレナのIPO(新規株式公開)を先月成し遂げたばかりの出雲充 代表取締役社長は、15年ぶりにバングラデシュの地を踏んでいた。渡航の目的は、日本政府のODA案件化調査業務で、バングラデシュの栄養環境を視察するため。現地食習慣に適した形でのミドリムシの活用方法、栄養状態改善に向けた課題を調査し、最終的にはODAの案件化につなげるのが今後の目標だ。同国の栄養環境を改善するための手段としてユーグレナが提供するミドリムシに白羽の矢が立ったのだ。

「久しぶりに訪れた首都ダッカの繁栄は想像以上でした。かつては主要道路でもリキシャ(人力車)とトゥクトゥク(三輪タクシー)しか走ってなかったのですが、いまは自動車で大渋滞。多くの人が携帯電話を所有し、東南アジア最大級の洗練されたショッピングセンターで買い物をしていました。しかし、残念なことに貧困層を中心とした食料事情はなにも変わっていなかったのです」

ユーグレナ設立は、出雲氏が15年前に訪れたバングラデシュでの体験抜きには語れない。1998年の夏、大学一年生だった出雲氏はバングラデシュでグラミン銀行のインターンシップに参加していた。グラミン銀行は貧困層を対象にした比較的低金利の無担保融資を行うことで生活の向上を支援している金融機関で、2006年にはノーベル平和賞を受賞している。「将来は国連職員として世界の飢餓や貧困を減らしたい」と考えていた出雲氏は貧困の現状を知るためにバングラデシュを訪れたが、そこで目の当たりにしたのは“飢餓”の現実だった。

「飢餓というと、食料やカロリーの不足をイメージする方が多いかもしれませんが、実際には“栄養素”の問題も大きいという現実を知りました。バングラデシュでは空腹による飢餓というのはレアケースで、米は大量に収穫できるため主食のカレーで炭水化物は十分に摂取できる。問題は肉、野菜といった動物性たんぱく質や植物性ビタミンといった栄養素を含む食材の入手が極めて難しく、多くの人々が常に栄養失調に苦しんでいたこと。国連は栄養素の重要性の指導・教育を行っていたものの、それら栄養素を含む食品を現地まで運ぶのは極めて困難だったのです」


「ビジネスを通じて飢えに苦しむ人に栄養素を提供する」という新たな目標


バングラデシュでの実体験を通じて知った飢餓の現実。「本当に飢餓を解決するためにはどうすればいいのか」出雲氏は考え続けた。一方で、公益的な事業を展開しながら利益も生み出しているグラミン銀行の仕組に感銘を受けた。利益を確保しながらも現地の人に感謝され、貧困から抜け出すきっかけを提供できている。営利を追求する団体では真に公益的な取り組みはできないのではないかと考えていた出雲氏は大きな衝撃を受けた。

帰国後、出雲氏はビジネスコンテスト団体の運営参加や企業家との交流を通じて、「ビジネスを通じて飢えに苦しむ人に栄養素を提供する」という新たな目標に行きつく。その目標を実現するために決断したのは、当時在籍していた文系学部から農学部への転部だった。周囲から反対の声もあったが、農業や栄養素についての知識を身につけたいという出雲氏の意思は固かった。

「農学部に入り、栄養素の高い食物を探していたときに出会ったのがミドリムシでした。しかし、ミドリムシは栄養素が高い反面、屋外での大量培養の難しさから培養研究は過去に頓挫していたのでした」 ミドリムシの培養研究は想像以上に困難だったが、大学の後輩であり、ユーグレナ社の創立者の一人である鈴木健吾氏とともに研究を続けた。「根拠はないんですが、10年程度で培養を成功させ、自分が35歳になる2015年くらいにはビジネスを始め、バングラデシュにミドリムシを持って行って喜んでもらいたいと考えていました」目標が定まった出雲氏は起業を見据えて、「ビジネスでお金がどのように動くのか」を学ぶために大手銀行に就職。その後も、鈴木氏は大学院に残って研究を続け、出雲氏も多忙な仕事の傍ら研究を続けていた。

銀行の居心地は良かったが、「自分がやらなければミドリムシは二度と日の目を見ることはないだろう」という想いから、周囲の大反対を押し切り退職を決意。「今やれることを一度全部やってみよう」そんな想いと共にユーグレナは2005年8月に設立された。

退路を断って研究に取り組んだ同年12月、ついに成果が出る。ミドリムシ培養における最大の課題は、その栄養素の高さゆえに外敵が培養設備内に侵入することだったが、特殊な培養液を用いることでその問題を解決。ユーグレナは世界で初めて食用としての屋外施設におけるミドリムシの大量培養を成功させたのだ。

出雲 充-1


バングラデシュから世界へ


バングラデシュの食料問題をミドリムシで解決する―出雲氏15年来の夢があと一歩で実現する。バングラデシュでのODA事業は、現地NGOなどと協力して、どういった体制、手法でミドリムシを提供していくか調査・調整を進めており、まずは乳幼児を持つ母親を中心に栄養失調の改善を目指すという。

今回のような公益性の高いプロジェクトはNPOなどが営利を度外視して取り組むことも少なくないが、出雲氏は今回のプロジェクトの先にビジネス展開をもしっかりと見据えている。「私とバングラデシュの出会いは偶然の要素が大きかったのですが、非常に幸運だったのは同国がイスラム圏の中でも寛容な国家であったことです。あと数年でこのプロジェクトから利益を生むのは難しいかもしれませんが、今後世界経済において次なる巨大市場となるのはアジア、中東、アフリカのイスラム圏。いきなり中東のイスラム国に行って食品の普及を進めるのはハードルが高いですが、世界の中でも寛容なイスラム国家であるバングラデシュで成功事例を作ることができれば、他のイスラム圏にも水平展開をしやすくなります。今回の取り組みを足がかりに、世界最大級のマーケットでビジネスに成長しうるポテンシャルがあると私は確信しています」

いくら公益性の高い事業であっても常に資金の持ち出しが続くようでは継続的、そして広域展開していくことは難しい。出雲氏はミドリムシによる世界の食料問題解決をビジネスモデルとして軌道に乗せることを見据えているのだ。


重要なのはハイブリッド(雑種)であること


困難と思われていたミドリムシの屋外大量培養に成功し、IPOを成し遂げるまでにユーグレナが成長した要因を、出雲氏は「ハイブリッド(雑種)であったことです」と語る。出雲氏のキャリアはベンチャー企業の中でも異色といえるだろう。東京大学在学中に文科三類から農学部に転部し、経営を学ぶために大手銀行に就職してからの起業。

「ハイブリッドとは雑種。理系の専門性だけでなく異分野との掛け合わせがあったからこそ、いまがあると感じています。

多くの理系学生はハイブリットからは程遠く、研究が好きで大学に残る人と異分野に就職する人と二極化しています。私自身の話をすると、『ミドリムシを大量培養し、ビジネス化する』という目的を達成するために農学部に移り、経営を学ぶために銀行に勤めました。これら経験があったからこそ、ミドリムシの研究を続ける傍ら汗まみれになって取引先開拓のために全国を駆け回ることができたんです。いくら優秀なテクノロジーがあっても、ビジネスとして成就させるためには専門性だけでは難しく、『自分は研究だけして経営は他の人を連れてきて任せよう』なんて考えていると失敗します。すべてできるようになれということではなく、技術畑であっても社会や経営について一通り理解し、各分野の専門家と話をできるレベルにならないと、どんな高い専門性・技術力があってもビジネスとして成功させるのは難しいでしょう。

ミドリムシだって動物と植物のハイブリッドだから多くの栄養素を持っています。お米のコシヒカリだって、組み合わせで生まれた雑種ですし、最近は自動車もハイブリッドですよね(笑)。大学で研究を続けるにしろ、社会に出るにしろ、ハイブリッドの重要性を知ってほしいですね」

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情報が溢れている現在だからこそ、実体験を


出雲氏がバングラデシュの現地で感じた衝撃。その実体験が出雲氏の考え方や行動に大きな影響を与えた。一方、近年は様々な情報がインターネット上に溢れ、情報を入手することのハードルは低くなっているが、出雲氏はそのような環境に囲まれた昨今の学生を憂慮する。「インターネット上では、ハーバードビジネススクールの講義を無料で見られるなど、リッチコンテンツを簡単に入手できます。その一方、膨大な情報の中から自分のやりたいことを見つけるのは非常に難しくなっているのではないかと感じています。無限の中から選ばなければならないのですから」

そのうえで出雲氏は実体験の有用性を説く。「おすすめしたいのは実体験すること。実際に現地に行って、人と話して、肌で感じて分かることは非常に多い。実体験であれば、好きか嫌いか、向いているか否かを判断するのは容易でしょう。やりたいことがわからない人も、何でもいいから体験して、自分が進むべき道を取捨選択していけばいい。私の時代と比べると、実体験することはそう難しくない。かつては海外旅行の情報自体が少なかったし、飛行機代もLCCなんてないので数十万かかった。

海外に限らず、いままで接点のなかった人に会ったり、インターンシップに参加したりする機会を早いうちに作ってみては。最近は手の中のスマホを通じて、どんな情報でも手に入ると思われがちですが、現地に行って人と交流することで摩擦が生じ、自分が磨かれます。そうすることで自分のやるべき道が見えてくるはずです」