東芝を代表する製品のひとつフラッシュメモリ。同社の技術者として多値化などの基盤技術の研究開発に携わり、フラッシュメモリ事業を世界シェア40%の主力事業にまで成長させたのが、現在は中央大学で教授を務める竹内健氏だ。学生時代は大学に残って研究者になろうと考えていたが、ひょんなことから東芝に入社。物理から半導体設計へと研究対象を変え、その後もMBA(経営学修士)を取得するなど、柔軟に専門領域を広げてきた竹内氏が、理系学生に伝えておきたいキャリアに関するメッセージとは。
竹内 健(たけうち・けん)
中央大学 理工学部 電気電子情報通信工学科 教授
1993年、東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 修士課程を修了。東芝に入社後はNANDフラッシュメモリの研究開発に取り組み、64M/256M/512M/1G/2G/16GビットのNANDフラッシュメモリで次々に世界初の商品化を成し遂げていく。2003年にはスタンフォード大学ビジネススクールで経営学の修士課程を修了。2006年に、東京大学大学院 工学系研究科 電子工学専攻の博士号を取得したことが縁になり、2007年から同大学の准教授として大学に戻る。2012年から現職。著書に『世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記』(幻冬舎新書)がある。
物理工学からフラッシュメモリ設計へ。現在も用いられる基盤技術を研究開発
スマートフォンや携帯型音楽プレーヤーなどのデータ保存に欠かせないフラッシュメモリ。従来のハードディスクと比べて小型・軽量で、書き込み速度も速い。最近ではノートパソコンの上位機種に、SSD(Solid State Drive)というフラッシュメモリを組み合わせた記憶媒体が採用されるようになるなど、利用シーンはさらに広がっている。
そのフラッシュメモリ開発において黎明期から中心的な役割を果たしてきたのが竹内健氏だ。竹内氏は1993年に東京大学大学院 工学系研究科を修了し、東芝に入社。フラッシュメモリの研究開発に従事した。
今でこそフラッシュメモリはパソコンや携帯電話などに使われ、東芝を代表する製品になっている。しかし、当時は事業の可能性は未知数で、使い物になる技術なのか見通しが立たない状況だった。
大学で物理工学を学んでいた竹内氏にとって、フラッシュメモリは専門外。入社後しばらくは「ボタン押し」が主な仕事。不良品として戻ってきたフラッシュメモリの不良個所を突き止めるために、専門装置で回路の写真撮影を続ける日々だった。
先輩の雑用を任されるだけの状況を打開しようと、独学で半導体設計を学び始める。しばらくは下積み生活だったが次第に認められるようになり、自身のアイデアが採用され始めたという。
研究開発チームの人数はわずか3人だったが、当時の研究成果はかなりの部分、現在のフラッシュメモリにも基盤技術として使われている。
フラッシュメモリの研究所は閉鎖となるが、論文の発表を続け、特許も取得
フラッシュメモリの記憶容量を大幅に増やし、実用性を高めた「多値化」の技術。これは竹内氏が研究開発した技術なのだが、多値化の研究に取り組んでいたころ、東芝は収益への貢献度が低かったフラッシュメモリの研究所を閉鎖。竹内氏は別の部署に異動となった。
「世界で認められれば、会社も再評価してくれるのではないか」。その思いから、竹内氏は多値フラッシュメモリに関する論文を国際学会で毎年発表し、特許を取得。東芝のフラッシュメモリ事業を飛躍させる礎を築いた。
その後、フラッシュメモリは事業化に成功し、東芝の屋台骨を支える事業にまで成長する。一方、それまでの主力製品だった半導体メモリのDRAM市場では韓国メーカーが台頭。これ以上はDRAMで勝負できないと考えた東芝は、DRAMからの撤退を決意した。
DRAMにかかわっていた社員は、そのままフラッシュメモリの事業部に異動。竹内氏をはじめ、若手社員中心だったフラッシュメモリの部署に、DRAMで経験を積んできたベテラン社員が加わることになった。
そんな状況を目撃した竹内氏。「3~5年先くらいまでは何とか見通せるかもしれないが、それより先はどうなるかなんて分からない。何十年も先まで同じ仕事を続けられるかなんて会社にも保証できない現在、自分のキャリアは自分で考えて作っていくことが大切」と指摘している。
「自分のキャリアパスは会社に任せきりにするのではなく、自分で考えるしかありません。『このスキルを身に付けるために、この部署で3年は頑張ろう』といったことを考えながら、キャリアを自分で作っていかないといけません。会社というものは『頼るもの』『守ってくれるもの』ではなく、自分を鍛える場だと割り切って生きることが大事なのではないでしょうか」
技術も経営も分かる社員は少ない。MBA取得で差別化できるキャリアに
フラッシュメモリ事業が軌道に乗り始めたころ、竹内氏は海外への留学を考え始めるようになる。 フラッシュメモリの技術は深掘りできた。その分、自分自身の成長スピードは鈍ってきたのではないだろうか。そろそろ新しい分野にチャレンジするころかもしれない――。
竹内氏は元々、物理工学を専攻。真理を探究する基礎研究から、フラッシュメモリの設計という開発の仕事を生業にするようになった。それなら、もっと実学寄りの経営やマーケティングといった領域も学んでみたらどうだろうか。いくら優れた技術を開発しても、上手く事業化できないことだってある。技術者だってマネジメントのことが分からないといけないはずだ。そう考えた竹内氏は、MBA(経営学修士)の取得を目指すようになる。
ところが「留学するのなら、アメリカの技術を持ち帰ってきてほしい」と考えていた人事部は難色を示す。MBA取得後にコンサルティング会社などに転職する人が続出し、社会的に問題視されるようになっていた情勢も災いした。
強い反発に遭ったが、竹内氏は初志を貫徹した。東芝は伝統的に、社員の主張を寛容に受け入れる企業風土。当初こそ反対されていたが、いくら説得しても主張が変わらないことが伝わると、最終的にMBA留学は認められることになった。
「私はそれまで技術だけをやっていましたが、アメリカには技術も経営もできる人がいます。そういう人が競争相手のトップにいると、いくら技術者がコツコツと頑張って研究開発をしても、勝てないんですよね。
本当なら管理職以上の社員は、技術も経営も分かっていないといけません。ですが日本には、技術しかやらない人と、技術を捨ててしまった人ばかり。それなら私が技術も経営もできるようになれば、確実に差別化できるようになると考えたんですね。
日本人にはマジメな人が多いですが、そういう視点を持つ必要があるのではないでしょうか」
「ゼロから新しいことを立ち上げたい」との想いが募り、大学へ転身
その後も紆余曲折やトラブルもあったが、東芝の先輩たちが支援してくれたおかげで、何とかMBAを取得することができた竹内氏。「東芝は懐が深いなと、今でも感謝している」と、そのまま東芝に戻ることにした。
帰国後は「会社を変えてみせる」という想いを胸に秘めて奮闘するも、なかなか期待どおりの成果があがらない。「どんなに頑張っても企業を大きくは変えられないのではないだろうか」という考えがよぎるのと同時に「ゼロから新しいことを立ち上げたい」という想いも募るようになる。
そんなタイミングで東京大学から「研究者にならないか」との誘いを受ける。大学で研究室を持つようになれば、自分の看板で勝負し、責任は全部自分で負うことになる。自分をさらに成長させるためには、そうした環境に身を置くべきだ。竹内氏は誘いのあった翌日には、東芝を退社する心づもりを固めていた。
若いうちにすべきは技術の深掘り。人気の職場でなくニッチな領域を選べ
そのようなキャリアを歩んできた竹内氏が、理系学生に助言してくれたのは「若い時に、若いうちにしかできないことをしておくこと」だ。
「まずは技術を深掘りしてみるべきでしょう。経営やマーケティングは技術を深掘りしてから学べますが、逆は難しいです。どんな技術でも研究が進んでいますから、ちょっとかじったくらいで自分なりの価値を生むことは絶対にできません。技術だけに限った話ではありません。営業やマーケティング、どんな仕事にも言えることだと思います。
一つでも深掘りした経験があれば、ほかの技術分野だって簡単に深掘りすることができます。どの技術分野も似たようなものなんですよ。『なぜ現状ではここまでしかできていないのか。課題を解決するにはどんな調査をして手法を考えればいいのか』というのは、深掘りした経験があれば、他の分野であっても類推できるのです」
ただ国内メーカーの中には、設計などの深掘りする業務まで、すべて海外に任せてしまい商社のようになっている企業が現れ始めているという。
「そういう企業で働いていても、身に付くモノは少ないでしょうから、やはり本業です。メーカーとして、技術を深掘りできる企業を選ばなくてはいけません。
しかも、何百人も技術者がいるような人気の事業部ではなく、多少のリスクはありそうだけれども、可能性を感じられるニッチな領域を探すべきです。少人数で、何でも自分でやらなければいけない環境です。そんな職場がある企業が狙い目だと私は考えています」
「どんな企業に入るか」ではなく、変化に応じて自分が変われるかが大切
竹内氏がもう一つ挙げてくれた「若いうちにしかできないこと」は、失敗しても構わないから、限界まで挑戦してみることだ。
「逆境に置かれた時に強いのは、失敗した経験があって『こうなるとマズイ』という勘所が分かっている人です。
今の日本には反面教師がたくさんいるのではないでしょうか。深く考えずに『この会社なら大丈夫だろう』と会社を決めてしまい、困難に立ち向かった経験を持っていないと、危機意識が働かなくなります。
そうなってしまうと、『この会社の先行きは暗い』と言われても、取り返しのつくタイミングで行動に移すことができません。会社が倒産する瞬間まで、気付かないまま残っているかもしれませんね」 限界まで挑戦するためには、好きなことを仕事にするべきだと竹内氏は語る。学校のテストは決められた時間内で点数を競うが、社会に出ると時間無制限の一本勝負。寝ている時間を除き、どれだけの時間、仕事に没頭することができるのか。それが大きな差になっていくのだ。
「『どんな企業に入るか』よりも、社会に出てから周囲の変化に敏感になって、必要に応じて自分が変わっていくことの方がよほど大切です。
自分が変わる際、これまでの専門とは違う分野を勉強しなくてはならないことも出てくるでしょう。そう考えると、好きなことを仕事にしていないと勉強には身が入りません。嫌いなことを仕事にしてしまうと、24時間そればかりを考えることなんてできません。
ですから、嫌いなことを仕事にした瞬間に負けが決まると思うんですよね。好きなことを仕事にしてください」
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