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トップインタビュー(株式会社Quemix 代表取締役CEO 社長執行役員 松下雄一郎)理系ナビ2026夏号

【キャリア情報誌 理系ナビ 2026夏号 掲載記事】

量子コンピュータの実用化が目前に迫る中、その性能を最大限に引き出すソフトウェアの開発に挑む株式会社Quemix。代表取締役CEOの松下雄一郎氏は、東京大学やドイツのマックス・プランク研究所で研鑽を積んだ研究者だ。アカデミアの第一線で活躍しながら、ビジネスの世界で技術の社会実装を推進する松下氏。「世界の片隅で研究を続けてもいいと思っていた」と語る研究者が、なぜ代表として会社を率い、量子計算の最先端を走ることになったのか。そのキャリアの軌跡と、理系学生へのメッセージを聞いた。


PROFILE

松下雄一郎(まつした・ゆういちろう)
株式会社Quemix 代表取締役CEO 社長執行役員

東京大学大学院工学系研究科にて博士(工学)を取得。ドイツのマックス・プランク研究所研究員、東京大学助教、東京工業大学(現:東京科学大学)特任准教授などを経て現職。ポスト「京」重点課題プロジェクトなど、国の大型研究プロジェクトにも参画。2020年9月より株式会社Quemixの代表取締役CEOを務める。東京大学大学院理学系研究科 特任准教授・国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 量子材料理論グループ 特別アドバイザー兼任。

≪株式会社QuemixのHPはこちら≫



数十年先の世界が、あと数年に。量子コンピュータの現在地


この数年、量子コンピュータの世界では地殻変動が起きている。特に大きなトピックがハードウェアの著しい進化だ。以前には信じられなかったことだが、わずか数年後に実用的な量子コンピュータのハードウェアが登場するロードマップが見えてきているという。

「これまでは20〜30年先だと思われていた未来が、ここ数年の技術革新で一気に手元に引き寄せられたのです」

そう切り出すのは、株式会社Quemixの代表取締役CEOの松下雄一郎氏。同社は量子コンピュータの領域でアルゴリズムやソフトウェアの開発を行う。

そして先述のハードウェア側の進化はソフトウェア側にも波及している。2030年以降だと考えられていた「誤り耐性量子コンピュータ(FTQC)」の実現が現実味を帯びてきた。

FTQCとは、量子ビットのエラーを訂正しながら計算を進める、いわば「完成形」の量子コンピュータ。これまでのNISQと呼ばれるエラーを含んだまま計算する段階から、一気に実用化のフェーズへと移行しようとしているのだ。

しかしハードウェアがいかに進化しても、それを動かすためのアルゴリズムやソフトウェア、いわば「頭脳」がなければ、社会に実装することはできない。Quemixが作っているのは、まさにその「頭脳」にあたる部分。今より世間の関心が薄かった設立当初から同社はFTQCをターゲットに据えており、現在は特に量子化学計算、量子機械学習、そしてCAE(Computer Aided Engineering)の領域に注力している。

近年、特に注目されているのがCAE領域だ。自動車の空力、半導体の熱拡散、化学プラント内の混合など、力学・流体・熱を扱うシミュレーションは製品開発の根幹を支える。一方で計算負荷は極めて高く、条件設定によっては結果が出るまで1カ月待つことも当たり前だった。

「これまでスーパーコンピュータでも1カ月かかっていた計算が、量子コンピュータなら半日や1日で終わる可能性があります。これにより、製品開発のサイクルは劇的に加速します」

しかし、そのためには量子計算における実装上の課題を解決する必要がある。どういうことかというと、一般的な計算においては「データの入力」「計算」「計算結果の読み出し」という三つのプロセスが実行されるが、量子コンピュータにおいて肝心な最後の「読み出し」技術は、これまで十分に手が付けられていない状態だった。Quemixはこうした課題に挑み、企業との共同研究で成果を生み出している。

例えば、本田技研工業(Honda)の研究開発部門である本田技術研究所との共同研究では、「量子状態を読み出す新技術」を共同開発。また、住友ゴム工業との共同研究においても、量子計算結果の新たな読み出し手法を実現した。これらは量子計算の社会実装を大きく前進させる取り組みだ。


量子コンピュータ計算プロセスの課題を解決する技術


空想にふけった少年時代。「世界の片隅」から飛び出した転機


今でこそ量子コンピュータ業界の最先端でQuemixを牽引する松下氏だが、もともとは内向的な人間だと振り返る。

「幼少期は非常に内気で、人見知りでした。実際、自分から積極的に前に出るタイプではありませんでした」

例えば子供らしく玩具で遊ぶ時も、手に持ってぶつけ合って遊ぶのではなく、じっと眺めて頭の中で動きを考えるのが好きだった。「頭の中でなら、いくらでも自由に動かせるから」と、1時間でも2時間でも飽きることなく空想の世界に浸っていたという。この「頭の中でシミュレーションする」という癖は、後の研究者としての資質につながっていくのだが、当時はまだ知る由もない。

その後、大学院に進み、研究者としての道を歩み始めてからも、根本的な性格は変わらなかった。ドイツのマックス・プランク研究所でポスドクとして働いていた頃、松下氏は将来に対して漠然とした諦めにも似た感情を抱いていた。

「ドイツの研究所で一人、研究に没頭する日々でした。世界中から優秀な研究者が集まる中で、自分には明確な夢があったわけでもなく、世界の片隅で細々と研究を続けていってもいいとさえ思っていました」

そんな松下氏に転機が訪れたのは、東京大学の助教として日本に戻った時だった。


ちょっとした「背伸び」が、仲間たちとの出会いにつながった


帰国後、スーパーコンピュータ「京」の後継機開発に向けた国家プロジェクトであるポスト「京」が立ち上がり、その中で萌芽的研究課題の公募が行われた。「萌芽」という言葉に、松下氏は惹かれた。

「これから芽が出るかもしれない可能性を秘めた研究ということなら、若手だけのチームで挑戦してみてもいいんじゃないか。そう思って、ちょっとだけ“背伸び”をしてみることにしたんです」

松下氏は同世代の若手研究者を集めてチームを結成し、応募した。審査員からは「確かに萌芽的である以上、若いメンバーでやるのはいい」と評価され、見事に採択。これが、松下氏にとって初めてのリーダーシップの経験となった。

しかし、プロジェクトを進める中で、新たな葛藤が生まれた。研究費を使ってポスドクを採用することになったのだが、応募してきた研究者が自分よりも優秀だと感じてしまったのだ。

「自分より優秀な人を雇ってしまっていいのだろうか。罪悪感すら覚えました」

悩んだ松下氏は、友人に相談した。すると、「その人が最大限、輝く場を作ればいい」という答えが返ってきた。そうすれば、その人にとってもプラスであり、松下氏の成果にもつながる。その言葉で、考え方が大きく変わった。自分一人で全てを背負う必要はない。優秀な仲間が力を発揮できる環境を整えることこそがリーダーの役割なのだと。

そして、この時に採用した優秀な研究者は、のちのQuemixの創業メンバーの一人でもある。かつて「世界の片隅」で一人研究していた松下氏は、いつしか信頼できる仲間と共に、世界の最先端を目指すチームのリーダーへと成長していった。


株式会社Quemix


仲間と技術を信じ、アカデミアとビジネスの二足の草鞋へ


量子コンピュータとの出会いもまた、この時期に重なる。2013年頃、科学誌に掲載された論文が松下氏に衝撃を与えた。

「量子コンピュータを使って材料の分子計算ができたという内容でした。当時、私たちはポスト京で材料シミュレーションに取り組んでいましたが、量子コンピュータを使えば、その世界が根底から覆るかもしれない。そう直感しました」

当時、日本で量子コンピュータのソフトウェア開発に取り組む研究者は少なかった。量子コンピュータの知識は全くなかったという松下氏は、チームメンバーと共にゼロから勉強を始める。「まだ誰もやっていない」ということは、裏を返せば「広大な可能性がある」ということだ。ほどなくして研究成果も出始め、未知の領域を開拓する楽しさにチーム全体がのめり込んでいった。

しかし、国家プロジェクトには期限がある。3年が経てば、せっかく集まったチームは解散しなければならない。

「このメンバーと離れ離れになりたくない。もっと一緒に研究を続けたい」。その一心で、松下氏はビジネス界へ飛び込むことを決意する。明確なビジネスモデルがあったわけでも、富を追い求めたわけでもない。自分が会社の代表になることを望んだわけでもないが、「一緒にやろう」と言ってくれる仲間のためなら、やってみようと思えた。このことも、松下氏にとっては、一つの「背伸び」だった。

「ちょっとの背伸び、というのがポイントだったと思います。プロジェクトへの応募や、優秀な研究者の採用、会社の設立といった背伸びの連続が、想像もしなかった未来へ私を連れてきてくれました」


「伏線」はいつか回収される。可能性を閉じないキャリアを


研究者と経営者、二つの顔を持つ松下氏は、理系学生のキャリアについてどう考えているのか。

「学生の皆さんに伝えたいのは、目標を持ったからといって、そこにいきなり到達できるわけではないということです。今やっている研究や、偶然出会った人、何気なく言われた言葉。それらがつながって、少しずつ目標に近づいていきます。特に人とのめぐり合わせは大きいですね。必ず人生のどこかで“伏線”として回収されます」

松下氏自身、今のポジションを最初から目指してきたわけではない。「この人と一緒に仕事がしたい」という想いがつながり、今の場所へと導いてきてくれた。だからこそ、理系学生に対しては「自分の可能性を狭めないでほしい」と松下氏は力を込める。

一方で、技術を磨くことも忘れてはならない。松下氏は技術者として、アメリカの起業家であるピーター・ティールの言葉を常に心に置いているという。それは、「多くの人が真でないとしているが、君が真だと考えているものは何か?」というもの。つまり、周りが信じていなくても、自分だけはその真実を信じているということ。それが技術者にとって重要な指針になる。

まさに松下氏と量子コンピュータとの出会いがそうだった。実現は当面先だと考えられ、まだ誰もやっていないことであっても、「こういう未来が来る」と信じられるのならば、そこに向かって突き進むこと。そして、その信念を共有できる仲間たちとの出会いが、Quemixのコアを形成してきた。

かつて「世界の片隅」にいた研究者は今、信頼する仲間と共に、量子コンピュータという最先端の領域で世界を変えようとしている。

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