トップインタビュー(株式会社ispace 代表取締役 CEO & Founder 袴田武史)


「2040年代に月に1,000人が暮らし、1万人が地球と月の間を行き来する」──宇宙資源を活用した持続可能な世界の創造を目指す宇宙スタートアップ、株式会社ispace(アイスペース)。現在は民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」を進行中だ。ispaceの創業者である袴田武史氏は、幼少期の宇宙への憧れを原点に、技術一辺倒ではなくビジネスとして持続可能な宇宙開発に取り組んでいる。宇宙に憧れた1人の少年が描く未来図とは──選択と挑戦を続ける袴田氏のキャリアを聞いた。


PROFILE

袴田 武史(はかまだ・たけし)
株式会社ispace 代表取締役 CEO & Founder

 

1979年生まれ。子供の頃に観た『スター・ウォーズ』に魅了され、宇宙開発を志す。名古屋大学工学部を卒業後、ジョージア工科大学で修士号(航空宇宙工学)を取得。大学院時代は次世代航空宇宙システムの概念設計に携わる。外資系経営コンサルティングファーム勤務を経て2010年より史上初の民間月面探査レース「Google Lunar XPRIZE」に参加し、日本チーム「HAKUTO」を率いた。同時に、運営母体の組織を株式会社ispaceに変更。現在は史上初の民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」を主導しながら月面輸送を主とした民間宇宙ビジネスを推進中。宇宙資源を利用可能にすることで、人類が宇宙に生活圏を築き、地球と月の間に持続可能なエコシステムの構築を目指し挑戦を続けている。

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民間機として世界初の月面着陸成功へ


2022年12月11日16時38分(日本時間)、アメリカ フロリダ州ケープカナベラル宇宙軍基地。多くの関係者が見守る中、日本の宇宙スタートアップispaceによる民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」の月着陸船(ランダー)が月への旅を開始した。SpaceX社の商業用打ち上げロケットFalcon9により打ち上げられたランダーは、発射から47分後に分離された後、東京・日本橋のispace管制室との通信を確立。飛行を続け、2023年4月には民間機として世界初の月面着陸に挑戦した。

「Expand our planet. Expand our future.」をビジョンとして掲げるispaceが目指すのは、人間が宇宙空間も含めた地球で持続的に豊かに生活できる時代を創ることだ。そのための経済基盤を築くためにまず必要なのが、宇宙資源の利用となる。地球の歴史を振り返ってみても、資源のあるところに人が集まり、街ができ経済が回り始めた。ispaceでは、同じことが宇宙でも実現できると考えている。

「宇宙資源の中でも我々が注目しているのが、月の水です」と話すのは、ispace 代表取締役CEO& Founder 袴田武史氏だ。水を水素と酸素に分けると、ロケットの燃料となる。そこで月の水を開発して、宇宙に燃料ステーションをつくることも可能となるという。そうすれば、地球から重たい燃料を積んでロケットを打ち上げる必要がなくなり、月から火星に行くコストも大幅に削減できる。「宇宙で採れる資源を、宇宙で活用する。これは最終的には地球のサステナビリティにつながります」と、袴田氏は語る。現代の豊かな地球の生活を支えるのが、気象衛星、通信衛星、GPSといった宇宙インフラだ。その依存度は、今後もさらに高くなっていく。宇宙インフラが巨大化する中で、経済合理性をどう保つのか―この鍵を握るのが、月の水をはじめとする宇宙資源の活用なのだ。

「HAKUTO-R」の月着陸船(ランダー)



「ムーンバレー構想」実現に向けて、着実に歩みを進める


ispaceが描くのは、「2040年代に月で1,000人が暮らし、1万人が地球と月を行き来する」、ムーンバレー構想だ。壮大な構想を実現する手前には、ispaceがスタートアップとして利益を創出していく必要がある。そこで検討している事業が、月面輸送サービスと、月面データサービスだ。まずは、月に小型だが高頻度の輸送インフラをつくり、2025年以降には年に2~3回の月面輸送サービスの提供を目指す。そして月面探査で得たデータのプラットフォームを構築し、月面データビジネスを発展させていく。

これらの事業の柱を確立し、ムーンバレー構想を実現していくには、まず月の環境について知る必要がある。水が本当に採掘可能か、コストはどれだけ掛かるか、技術的に実現可能か、そして経済合理性はあるのか。その検証のために現在進んでいるのが月面探査プログラム「HAKUTO-R」だ。2つのミッションから成り立ち、着陸技術の検証、事業モデルの検証を行う。ミッション1では日本初、民間主導のランダーで月面着陸を目指す。ミッション2では月面着陸とローバーによる月面探査を進め、続く2025年のミッション3ではNASAのCLPS(商業月面輸送サービス)にも貢献する予定だという。人類と宇宙との距離は、着実に近くなっているのだ。

日本を代表する民間宇宙企業となったispaceの創業者である袴田氏が宇宙に関心を持ったのは幼少期。『スター・ウォーズ』で宇宙船が飛び交うシーンに目を輝かせ、「宇宙船をつくる人になりたい」と憧れを持った。しかし、徐々にその興味は宇宙船そのものをつくるところから、「その世界を実現するための仕組みづくり」へと移行していったという。「ものづくりをするには、コストがかかります。経済事業として成り立たせるには、宇宙船をつくる技術だけではなく、それを取り巻く全体の仕組みやシステムを考えていく必要があります。私はそこに注力し、最終的には幼少期に憧れた宇宙船が飛び交う世界をつくりたいと考えています」。なぜ、そのような志向となったのか。そしてなぜispaceを立ち上げたのか。次に10代から自律的に自らの進路を築いてきた袴田氏の半生を紐解いていこう。


自律的に進路を選び、実行してきた学生時代


幼いころ宇宙に憧れた袴田氏だが、中学生になる頃には「ロボコン」に夢中になっていた。ロボットをつくって、世界で戦いたい―そう考えた袴田氏は、ロボコン発祥の地であり世界大会「IDCロボコン」に出場する東京工業大学(東工大)を目指し、東工大への進学に強い高校を受験した。しかし、志望校は“全滅”で、受かった高校からの東工大への進学は過去に1人だけだったという。その時袴田氏は「つまり高校で周囲と同じ勉強をしても、まず東工大には行けない」と考え、自分なりの勉強法を計画していった。「それが、初めて自分で何かを計画・実行した経験です。今につながる、目標に向けて物事を進める癖づけになりました」。東工大でロボコンに出場していたのは機械宇宙学科だ。そこで「宇宙」への憧れも取り戻した。

しかし東工大への進学はかなわず、上智大学に入学。はじめは「とことん遊ぼう」と開き直っていた袴田氏だが、やはり宇宙に未練があり再度受験勉強を開始し、名古屋大学工学部 機械・航空宇宙工学科に進学した。

大きなターニングポイントのひとつは、大学院進学を見据えて研究室に入る時だった。「航空宇宙は総合学問です。大きなシステムの中で様々な技術や概念を組み合わせていかねばなりません。しかし、日本の大学院には細分化された技術を突き詰める研究室はあっても、総合的にシステムを学べる場がほとんどありませんでした」。そこで袴田氏は視野を国外にも広げ、アメリカのジョージア工科大学に希望する研究室があることを知り、大学3年生の時点で留学することを決めた。周囲には「研究者のコースを外れるぞ」と言う人もいたが、意に介さなかった。

ジョージア工科大学では宇宙開発におけるシステム設計を学びながら、経済合理性についても研究を進めた。「機能面だけを見て設計をしてしまうと莫大なコストがかかってしまいますから、経済合理性は不可欠な要素です。そして経済合理性は、概念設計の段階で8割決まるといわれています。そのため、初期段階で加味していくことが重要です」

袴田武史氏

※写真は2023年3月2日現在のものです。



「夢にも思っていなかった」起業家への覚悟を決めた出会いとチャンス


修士課程修了後、袴田氏は外資系経営コンサルティングファームに入社した。民間宇宙開発が活発になってきた時期で、これからますます経営の視点が必要だと考えたからだ。そして、宇宙産業にはコストがかかる。他産業がどれだけコスト意識を高く持っているのかを知るために、コストの最適化を専門とするファームを選んだ。「ここで一番学んだことは“経営コンサルのいろは”というよりは、スタートアップ精神でした。日本支社は規模が小さく、成果を出さないと撤退という可能性もあります。自分の仕事が会社の成長につながるという実感がありました」。ただ、「リーダーというより、参謀タイプ」という袴田氏、その時は自身が起業するとは夢にも思っていなかったという。

転機となったのは、Googleが2007年から2018年にかけて実施した月面探査レース「Google Lunar X Prize」に参加していた海外のチームから、資金調達の相談がきたことだった。その縁で、宇宙ロボットの専門家としてローバー開発をしている東北大学の吉田和哉氏と出会い、意気投合。日本でも月面探査チームをつくるべく、コンサルティングファームに在籍したまま、副業で「チームHAKUTO」としてレースに参加した。2年程は週末起業のような状態だったが、レースの期限が近付き、「ここで本気にならなければ」と覚悟を決め、会社を退職して起業。当時は4人の仲間がいたが、最も動きやすく全体のバランスを見ることができたのが、袴田氏だった。そこで、期せずして代表を務めることになった。

「Google Lunar X Prize」は、最終的にどのチームも月面に到達することができず、勝者不在で終了した。しかし袴田氏率いるispaceは宇宙への道を諦めず、レース終了前から計画していたムーンバレー構想を描き、2017年12月には独自開発の月着陸船によるミッションを始動させることを発表。2018年9月には民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」を開始。26カ国(2023年4月時点)から優秀な人材を登用し、人類の生活圏を宇宙へと広げるべく、着実に歩みを進めている。


目的に到達するための道は、ひとつではない


「私のキャリアは、異端中の異端」だと言う袴田氏。「結局東工大には行けなかったし、ロボコンにも出ていません。挫折もたくさんしていて順風満帆とはいえないでしょう。それでも今、幼い頃に夢見た宇宙に関わる仕事ができています」―学生の頃から人生を“自分ゴト”として捉え、目標に向けた努力と選択を繰り返してきた袴田氏に、理系学生へのキャリア選択のアドバイスを聞いた。

「王道のキャリアはどこにもなく、一人ひとりに合ったキャリアがあると思います。たとえば、宇宙飛行士を目指す人はたくさんいますが、ほとんどの人はその夢を実現できません。しかし、だからといって挫折感を味わうことはないと思います。『なぜ宇宙飛行士になりたかったのか』『どういうインパクトを社会に与えたいのか』、一歩踏み込んで考えてみると、実はその目的を成し遂げるためには色んな進路の選択肢があることに気が付くはずです。『道はひとつではない』それを認識できれば、一番の夢がかなわなくても切り替えて他のルートでその目的に向かうことができます。そうなれば、個々が能力をいろんな場所で最大限発揮して、良い社会をつくれると信じています」

Ⓒispace_Falcon9に搭載されたランダー(月着陸船)

Ⓒispace_Falcon9に搭載されたランダー(月着陸船)