トップインタビュー(東京工業大学 科学技術創成研究院 教授/AIコンピューティング研究ユニット主宰 本村真人)


AIは一時的なブームに終わらず、私たちの日常に不可欠な存在となりつつある。その技術の発展に伴い求められているのが、膨大なデータをより速くエネルギー効率よく処理できるハードウェアの開発だ。この分野で世界のトップグループに名を連ねるのが、2019年に本村真人氏が東工大で立ち上げたAIコンピューティング研究ユニット(ArtIC)である。かつて「日の丸半導体」として世界を席捲した日本の半導体産業は、当該領域で息を吹き返すのか。ArtICの挑戦を、本村氏のキャリアとともに紹介する。


PROFILE

本村 真人(もとむら・まさと)
東京工業大学 科学技術創成研究院 教授/AIコンピューティング研究ユニット主宰

 

福岡県出身。1987年京都大学修士(理学)、1996年同博士(工学)。1987年よりNECにてリコンフィギュラブル・ハードウェア、オンチップマルチプロセッサ等の研究開発と事業化に従事。1991~92年MIT客員研究員、2011年より北海道大学教授、2019年より東京工業大学科学技術創成研究院教授。リコンフィギュラブル・アーキテクチャ/人工知能向けハードウェアアーキテクチャなどの研究などに従事。IEICE/IPSJ/EAJ各会員、およびIEEEフェロー。1992年IEEE JSSC Best Paper Award、1999年IPSJ年間最優秀論文、2011年IEICE業績賞、2018年ISSCC Silkroad Award、2022年第54回市村学術賞功績賞を受賞。

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AIと相性がいい“柔らかいハードウェア”


本村氏が率いるArtICが目指すのは、人間社会の発展のために必要となるAI技術を、より低エネルギーで実現するための仕組みづくりだ。これまでのコンピュータの情報処理は、手順に従い順序だてて命令を実行する“手続き型”手法をとっていた。しかしAIは膨大なデータを流しながら並列で同時処理できるという特質がある。そのため、ハードウェア側にもデータ処理構造をそのまま並列に実行する“構造型”手法が求められている。

その「構造型情報処理」を行うためのコンピューティング技術として期待されるのが、本村氏がNECの中央研究所時代から長年研究に従事してきた「リコンフィギュラブル・ハードウェア」であるReconfigurable=再構成可能という名の通り、情報処理をしながら用途に応じて回路構成を柔軟に切り替えることができる。別名“柔らかいハードウェア”と呼ばれるこの技術は、高い処理速度とエネルギー効率を実現できるため、AIと非常に相性が良い。そして、日本が得意とする半導体集積回路の技術を活かすことができる。本村氏は、日本の産業界の発展も視野に入れながら、このAIコンピューティングの分野で世界トップとなるべく研究に取り組んでいる。


トレンドセッターとしてのポジション確立を目指す


世界のトップグループとなるには、国際的にその研究成果をアピールしていくことが不可欠だ。「しかし、既存のアルゴリズムに対応してモノをつくるとなると、結局は体力勝負となり、多くの研究者を抱える大企業が勝ちます。アイデアはあるが体力に乏しい私たちが世界をリードしていくには、後追い研究では意味がありません。将来のアルゴリズムを見据え、トレンドセッティングをしていくことが必要です」。そこで本村氏のグループは、「集積回路のオリンピック」ISSCC(国際固体回路会議)で毎年のように新しい発表をしている。

最近では、隠れニューラルネットワーク(Hidden neural network)という最新アルゴリズムに世界でいち早く着目し、構造型情報処理の概念で効率的に処理できるハードウェアアーキテクチャ「ヒデナイト」(Hiddenite:Hidden Neural Network Inference Tensor Engine)を考案。ISSCC 2022では、ヒデナイトを実際にハードウェア化したLSIチップを発表した。これが斬新なアプローチとして大きな反響をよび、ArtICの世界からの注目度も高まってきた。

「日本人は、新しい研究テーマをいち早く見出すことは得意です。例えば、リコンフィギュラブル・ハードウェアも、世界でまだ注目されていない頃から日本では盛んに研究が行なわれていました。しかし、先行したはずの研究を継続させて産業の競争力につなげていく力、そして研究成果を世界に発信する努力が欠けていることが弱みです。半導体・集積回路では、一度衰退してしまいましたが、過去に蓄積した技術は点在しています。その点を私たちが線として、若い世代につなげていくこと、それが研究のモチベーションです」

Hiddeniteをハードウェア化した数㎜角の半導体チップ

Hiddeniteをハードウェア化した数㎜角の半導体チップ。ニューラルネット実行の際に必要な情報量を大幅に削減してエネルギー効率を高めた。



意図せぬ配属を乗り越え、生涯をささげる研究分野に出会う


1962年に熊本で生まれ福岡で育った本村氏。幼いころから不思議なものへの探求が好きで、物理学に興味を持つようになる。また、友人の影響でビートルズを好んで聴いていたからか英語はずっと得意だったという。湯川秀樹、朝永振一郎のノーベル賞受賞に憧れ、早くから京都大学で物理を学ぶことを決めていた本村氏は、希望通り京都大学に進学した。自由な校風の中で一時はのんびりとしてしまったが、3年生の時に一念発起して猛勉強し、修士課程は無事希望の研究室に合格。湯川秀樹門下生の恒藤敏彦研究室にて、超伝導物理の研究に取り組んだ。

修士課程修了後は、これまで研究した超伝導の理論をベースに実用的な研究をしたいと考え、民間企業への就職の道を選ぶ。研究チームやオフィスの雰囲気を見て、NECに入社を決めた。しかし配属されたのは超伝導ではなく、集積回路の研究チーム。「希望と違う配属のうえに、回路設計はまったくの素人。最初はくじけそうになりました。1年程葛藤を抱えていましたが、上司が気長に興味を引き出すようにしてくれたおかげで、モチベーションを上げることができました」

そして入社して3年が経った1990年、本村氏は自らの研究成果をISSCCで発表する機会を得た。ここで役立ったのが、学生時代から好きだった英語だ。まだ英語を苦手とする日本人研究者が大多数の中、質疑応答まで英語で堂々と行う本村氏の姿は、周囲を驚かせた。さらに、この発表をもとにした論文が、トップレベル論文誌である「IEEE JSSC」の年間Best Paper賞を受賞し、自信を持てるようになったという。また、当時第2次AIブームの中で興味を持って色々と調べていたことも、後のキャリアにつながっていく。

1991年から1年間、本村氏はMITに企業派遣留学をした。ここで学んだのは、データフローという新しい計算機のアーキテクチャだ。「データフローの考え方は、構造型情報処理をソフトウェア側からみた考え方です。ここで世界トップレベルの研究者や研究環境を知ったことは、大きな経験でした」

帰国後、1990年代後半から本村氏が取り組んだのが、リコンフィギュラブル・ハードウェアの研究だった。「私が入社した1980年代、日本は半導体・集積回路の研究で世界を席捲しており、NECはそのトップでした。しかし日米半導体摩擦、バブル崩壊を経て、日の丸半導体は衰退の一途をたどっていきました。なんとしても、その凋落を食い止める研究をしたかったのです」。その想いが、本村氏を突き動かした。そして着想から10年以上の時を経て、2000年代後半に動的再構成プロセッサ(DRP)の事業化を果たす。現在、その事業はルネサスエレクトロニクスに引き継がれ、多くの製品に展開されている。


民間企業とアカデミア、研究へのスタンスの違い


DRP技術の製品化まで見届けたタイミングで、本村氏は大きな決断をする。アカデミアへの転身だ。「NECが集積回路の研究から撤退することも1つの区切りでした。会社に残って別の分野の研究を続けるという選択肢もありましたが、これまで集積回路の研究で培ったことを今度は日本のために発揮したいという想いも強く、大学で研究することにしたのです」

そして2011年、北海道大学の教授に転身。その頃世界では、再びAIに注目が集まるようになっていた。当初は研究室の立ち上げでなかなか手が回らなかったが、2013年頃からAIに関する講演や文献で調査を重ね、構造型情報処理がAIの特性に向いていると確信。AIコンピューティングの研究に本格的に取り組むこととなった。さらに2019年、「東工大で日本をリードする新たな研究ユニットを立ち上げる」という野心的な公募に惹かれ、北大で培った研究を発展させるべく東工大へ移籍、現在に至る。

民間企業とアカデミア、双方で先端技術の研究に取り組んできた本村氏に、それぞれの視点の違いについて聞いた。「若い頃は、新しいこと・独自性があることこそが善だと思っていました。しかし必ずしもそうではありません。民間企業では、独自性と実用性、そのバランスを見極めて研究を進めることが重要です。それが実際に世の中で使われて役に立つことで、達成感がありました。また、新しいアイデアを出すのは一瞬ですが、実現には10年かかる覚悟を持って研究に取り組む姿勢が不可欠です」

一方、アカデミアでは民間企業とは異なるバランス感覚が必要となるという。「大学は公の研究が使命なので、『日本のために、世界のために』という意識が非常に強いです。そして、一歩先を見た研究をしなければなりません。しかしあまり先すぎると絵空事になってしまいます。技術の流れを観察し、程よい『先』を見極めることが、アカデミアの研究の面白さです」

本村 真人



キャリアの傍観者になる勿れ


本村氏に、これから社会に出る理系学生へのアドバイスを聞くと、「傍観者になってはいけない」という言葉が返ってきた。「私自身、入社時は社員のキャリアのことは会社がしっかりと考えてくれるだろうと思っていました。しかし、必ずしもそうではありません。人生は長く、思ってもいなかったことが起こります。その時に人任せではなく、自分で考えることが必要だと痛感しました。そして意に沿わないことや誤算があった時も、まずは自分が選択したことが正しいと思えるまでやり抜く態度が必要です」。本村氏もNEC入社後、希望とは違う配属となり、一時は投げ出したいと思ったこともあった。しかし「入社したことが間違いだった」というネガティブなマインドには陥らず、その環境で結果を出し、選択を意味あるものだと捉え直したことが、結果的に現在の道につながっている。「配属分野が学生時代の専攻と異なることを恐れる必要 もありません。何を学んだかより、学びに向き合う姿勢や頑張ったという自信が、その後の人生を支えます」

そして、若い人材には日本に閉じず、積極的に海外に出てほしいという。日本が立ち直るには、まだ時間がかかる。だからこそ外に出て色々なものを見ることが、個人のキャリアにとっても、今後の日本にとっても貴重な財産となる。自分のキャリアのハンドルは、自分で握る。それは民間であってもアカデミアであっても、忘れてはいけない姿勢だろう。