「自動運転」という言葉で、どんな未来を思い浮かべるだろうか。ハンドルを握らずとも、クルマが目的地に連れて行ってくれる。無人のタクシーが街中を走り、トラックは目的地に効率よく貨物を運搬できる。人間に代わってクルマが運転してくれるなら、車内での時間の使い方も、車内のデザインも変わる。自動運転というのは単なる技術革新ではない。「MaaS」(Mobility as a Service)という言葉もあるように、「モノからサービスへ」のパラダイムシフトが自動車業界にも起こっているのだ。破壊的なイノベーションが様々な産業構造を変えようとする時代に、理系人材はどのように生き抜くべきか。トヨタのエンジニアとして車両制御に長く携わり、現在は自動運転の先行開発を行うトヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント株式会社(以下、TRI-AD)のCTOを務める鯉渕健氏に聞いた。
鯉渕 健(こいぶち・けん)
トヨタ自動車株式会社 先進技術開発カンパニー 先進安全領域 領域長/トヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント株式会社 最高技術責任者(CTO)
早稲田大学、東京大学大学院卒。専門は車両運動、車両制御システム、機械工学。1993年、トヨタ自動車に入社。車両運動性能開発、車両運動シミュレーション開発に携わり、その後、ブレーキ制御、ステア制御などのシャシー制御開発を担当。エンジン、トランスミッションのパワートレイン系統合制御やアイドリングストップ、充電制御等の省燃費制御システムなど幅広い車両制御システムの開発に精通。2014年より自動運転技術、先進安全技術の開発を担当し、2018年7月にTRI-AD CTOに就任。趣味は、中学時代から続けている硬式テニス。
自動運転技術が、世界を変える
従来の自動車業界は、クルマという「モノ」を製造・販売して収益を上げていた。しかし、自動運転技術の発展により、いかに快適・効率的に人やモノを運び、移動のサポートをするのかという「サービス」へとパラダイムシフトが起ころうとしている。それゆえ、自動運転領域は多様なプレーヤーが参入しており、自動車メーカーはもちろん、AIやソフトウェア開発に強みを持つシリコンバレーのIT企業がしのぎを削っている。Googleの自動運転開発部門から分社化したWaymo(ウェイモ)はその筆頭だ。
世界の自動車業界を牽引するトヨタ自動車も、「自動車をつくる会社」から「モビリティ カンパニー」へのモデルチェンジを標榜し、自動運転領域に膨大なリソースを投じている。実は30年前から自動運転の研究を進めていたというトヨタは、イノベーションにドライブをかけるべく、2016年、シリコンバレーに自動運転の先端研究を行うToyota Research Institute(TRI)を設立。さらに2018年、自動運転に関わるソフトウェアの開発と実装を行うToyota Research Institute Advanced Development (TRI-AD)を東京に設立した。TRI-ADは、TRIの先進的な自動運転研究と、トヨタの製品開発を橋渡しする役割も担う。その最高技術責任者(CTO)を務めるのが、鯉渕健氏である。
自動運転のトレンドには、2つの潮流がある。消費者が所有する「オーナーカー」と、タクシーや物流などの「サービスカー」だ。そして、「この2つは性質が大きく異なる」と、鯉渕氏は話す。「Waymoなど、IT企業にルーツを持つプレーヤーがフォーカスしているのは、主にロボットタクシーなどのサービスカーです。一方で、自動車メーカーは、オーナーカーもサービスカーも両方手掛けていく必要があります」。そして、自動運転領域でトヨタが持つ強みは大きく2つ。まずは、工業製品としての自動車への信頼性の高さだ。「ソフトウェア領域の比重が高くなるとはいえ、人やモノを乗せるものですから、製品の信頼性は不可欠です。この点で、トヨタの高品質なモノ作りの力は圧倒的なアドバンテージです」。そして2つ目は、データの量。AIの強化はもちろん、新サービス開発にもビッグデータは不可欠だ。「今後、カメラやセンサーを装備しネットワークにつながるコネクティッドカーが主流になると、多くのデータが収集できるようになります。そこでカギを握るのが販売台数。控え目に見積もって数千万台のトヨタ車が世界のあらゆる場所を走り、膨大なデータを取得することができるのです」
ディープラーニング、ビッグデータ解析、センシングなど、様々なテクノロジーが不可欠となる自動運転。「競争するだけではなく、プレーヤー同士の強みを掛け合わせた共創も行い、新たな世界を創っていく」ことが必要だと、鯉渕氏は語る。大企業と、尖った技術を持つテクノロジースタートアップとのオープンイノベーションも盛んだ。TRI-ADは米NVIDIA社と安全な自動運転の実現に向けての協業を発表。また、米CARMERA社と高精度地図の自動生成実証実験も開始している。
【1】移動や物流など多目的に活用できるMaaS専用次世代EV(電気自動車)のコンセプトカー『e-Palette(イーパレット)』。【2】自動運転技術「ハイウェイ チームメイト」搭載実験車。自動車専用道路での合流、車線維持、レーンチェンジといった自動運転の実用化を目指す。【3】試験車にカメラを搭載し、市街地のデータを取得。そのデータをもとに高精度地図の自動生成に取り組む。
自動車業界の大きな転換点に関わる、千載一遇のチャンス
鯉渕氏は1993年にトヨタ自動車に入社し、キャリアの大半を制御領域で築いてきた。自動運転という技術領域は認識していたものの、自分がそこに関わるとは思ってもみなかったという。「車両の動きを制御するという点では自動運転も共通しています。一方で、ディープラーニングやビッグデータ解析など高度なソフトウェア開発の経験はありません。自動運転は私にとって、半分は経験領域、半分は未知なる領域でした」
しかし、今までのキャリアの延長線上にはない挑戦を、鯉渕氏は心から楽しんでいる。自動車業界を根底から変えていく技術に関わる経験は、一生に一度あるかないかのチャンス。まさにエンジニア魂が震えるような体験だという。「自動運転は単に高度な技術が必要なだけではなく、それを事業化するビジネスの視点も不可欠です。これまでのように、前提条件がある程度決まっている開発とは何もかも大きく違う。そこが非常に面白いですね」
バブル崩壊で日本経済が一変し、仕事選びの軸も変わった
幼少期は団地で育ち、近所の子どもたちとよく遊んでいたという鯉渕氏。父親が企業の研究者として自動車関係の仕事に携わっていたことから、色々なクルマに触れる機会があった。その影響で、クルマが好きになったという。
早稲田大学ではメカトロニクスの研究室に所属。植物の細胞融合に用いる機械とソフトウェアを研究していた。大学院は東京大学に進学し、生産技術研究所にて、振動・騒音の基礎的な研究を行った。
修士課程を修了した鯉渕氏は、トヨタ自動車に就職する。自動車メーカーに就職を決めたのは、当時の経済情勢も大きい。「学部時代は、まさにバブル最盛期。学部卒で就職する人も多く、同期の半数以上が金融、商社、シンクタンクなどのいわゆる“文系就職”でした。企業選びの軸も収益や待遇など、少し浮足立ったような見方が主流でした」。しかし、鯉渕氏が大学院に進学した後に、バブルが崩壊。景気が大きく後退し、就職戦線の様相も一変した。「ついこの間まで我が世の春を謳歌していた企業の業績が落ちていきました。それを見て、業績など表面的な情報だけで就職先を選ぶのは危険だと感じたのです。企業の業績は変動するもので、ずっと良い状態が続くわけではない。だったら、好きな仕事をした方がいい。いい時も悪い時も、好きなことであれば続けられると考えたのです」
学部時代は空前の売り手市場、大学院時代は就職氷河期。価値観を根底から揺るがす転換期を経験したことで、企業選びの観点は原点に立ち返った。そこで想起したのが、子どもの頃から好きだったクルマ。鯉渕氏は自動車メーカーに照準を絞って就職活動を進め、信頼できる人からの後押しもあり、トヨタ自動車への就職を決めた。
やりたいことを公言していたことが、キャリアのターニングポイントを引き寄せた
入社前から鯉渕氏は、車両制御システムに携わりたいという希望を持っていた。そこで本配属が決まる前に、当時の制御部門のリーダーに話を聞きに行ったという。仕事内容について熱のこもった説明を受けたが、その年には制御部門の新卒配属はなく、鯉渕氏は車両運動性能開発の部署に配属された。「置かれた場所で真面目に仕事をして、次のチャンスを待とう」と決め、目の前の仕事に精一杯取り組んだ。実際に、ここで車両運動の基礎を徹底的に身に付けたことが、後のキャリアに役立ったという。
チャンスは、早くも入社後2年が経つ頃に訪れた。クルマの横滑りを抑える安全装置『VSC(Vehicle Stability System)』の特別プロジェクトが立ち上がり、部署横断で人員を集めることとなった。そのプロジェクトの中心にいたのが前出の制御部門のリーダーで、鯉渕氏のことを覚えており、メンバーに推薦してくれたという。「自分の希望を、折に触れて口に出して伝えておくことは大事ですね。すぐに実現することはなくとも、こうした機会に思い出してもらえるのですから」。それ以来、鯉渕氏は様々な制御システムを手掛けていくことになる。
「クルマ好き」が入社の大きな動機となった鯉渕氏にとって、実際にクルマを開発したり試験運転をしたりした若手エンジニア時代は、これ以上ない楽しい時だった。「ある時、上司がふと『鯉渕、俺たち幸せだよな。子どもの頃はミニカーで遊んでいたけど、今は縮尺1/1のクルマを作っているんだぞ』と言ったことを今でも覚えています。好きなものに真っすぐに向き合える幸せを感じた時ですね」。だからこそ、マネジメントを任され始めた時は、技術から離れることに強い不安を感じた。最初はマネジメントそっちのけで現場に入ってしまったこともあったという。一方で、以前よりも大きな仕事を任されるようになり、組織の意思決定に携わる醍醐味を感じるようになった。
予測できない未来を生き抜く“T型人材”になれ
テクノロジーの発展スピードが加速している今、自分が築いてきた専門とは異なる領域へ挑戦を迫られるシーンは、これから多くの理系人材が経験することではないだろうか。未知との遭遇に向けて、どんな備えをしておけばいいのか、鯉渕氏に聞いた。「まずは何か1つでもいいから、『自分はここが得意』と胸を張れる専門性を持つことです。私もそうでしたが、ある時期に身に付けた専門性が、別の領域で役立つことがよくあります」。そのバックグラウンドを築いた上で、さらに『幅広い分野の知見』も持つ。深い専門性と広い知識を合わせた“T型人材”であれば、新しいことにも早期にキャッチアップできるはずだ。
そのためには、社会に出た後にも勉強を続けることが大切だと鯉渕氏は強調する。「私の学生時代よりも、今の学生さんたちは優秀で圧倒的に勉強しています。しかし、長い社会人人生、学生時代に築いた専門性だけでは生き抜けません。仕事をしながら勉強するのは難しいですが、日々の仕事に忙殺されるのではなく、会社のサポートもうまく活用しながら、学び続けてください」
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