2011年6月、暗いニュースが多かった日本に、明るいニュースが飛び込んできた。理化学研究所などが開発してきたスーパーコンピュータ「京」が、LINPACKベンチマークで8・162ペタフロップスを記録。世界最速のスパコンとして認められたのだ。「世界最速」の称号を日本のスパコンが得たのは、地球シミュレータ以来のこと。実は「京」の開発プロジェクトをリードした渡辺貞氏は、地球シミュレータにも携わっていた人物。日本のスパコン開発を牽引してきた第一人者が送る理系学生に向けたメッセージとは―
渡辺 貞(わたなべ・ただし)
独立行政法人理化学研究所 次世代スーパーコンピュータ開発実施本部 プロジェクトリーダー/博士(情報科学)
1944年生まれ、北海道出身。東京大学大学院工学系研究科の修士課程を修了した後、1968年に日本電気株式会社(NEC)に入社。コンピュータやスーパーコンピュータの開発に従事し、スーパーコンピュータ「SXシリーズ」「地球シミュレータ」などの開発プロジェクトに携わる。2005年までNECで勤め上げ、翌年8月より独立行政法人理化学研究所に参画。次世代のスパコン「京」の開発プロジェクトでプロジェクトリーダーを務める。電子情報通信学会、情報処理学会、日本計算工学会、各会員。主な受賞歴にACM/IEEEエッカート・モークリー賞(1998年)、シーモア・クレイ賞(2006年)など。
現在のビジ記録を出すだけなら簡単。その用途を考えたからこそ苦難の道に
10ペタフロップス(演算速度1京回/秒)の性能を持つスーパーコンピュータをつくろう――。そんな目標を掲げたスパコン「京」の開発で、プロジェクトリーダーを任されたのは渡辺貞氏。「国の研究開発基盤とする」という「京」の用途を考え、10ペタ達成に加えて、さまざまな分野の研究者が汎用的に使えるシステムにしようと考えた。しかし、記録と汎用性の両立は苦難の道。10ペタという記録を出すだけであれば、もっと簡単に達成できただろうと振り返る。
「10ペタのシステムをつくろうと思った時に、やり方はいろいろあります。例えば最近では、グラフィックス用のプロセッサ(GPU)を使うやり方もありますし、GRAPEという天文関連の研究に使われている専用のチップを使うというやり方もあります。
確かに、GPUやGRAPEを使えば演算機能だけはたくさん増やせます。単に10ペタのシステムをつくろうと思ったら、そちらの方が簡単です。ですが、完成したシステムの用途が天文などの研究分野に限定されてしまうのです。
でも『京』は元々、国の研究開発基盤として、さまざまな用途で多くの研究者に広く使ってもらうという目的がありました。ですから、特殊なチップを使わないで、汎用的に使えるチップで10ペタの性能を出そう。かつ、消費電力も減らそう。そんな制約条件を設けた上で開発することに決めていましたから。
ですから一番難しかったのは、そうした制約条件を守りながら、10ペタの性能を出すことだったのです」
計算速度世界ランキングで1位になったこともうれしかったが、ただ1位を取った以上の価値があったことも誇らしかった。というのも、「京」の実行効率(システムの理論性能に対する実行性能の比)は93%と極めて高い水準。2位の中国製スパコン「天河1号A」はGPUを使い、実行効率は50%台となっている。 結果、2位と比べて3倍以上の性能差を見せつけ、「汎用システムとして断然トップ」(渡辺氏)になった。この事実は、世界各国で驚きをもって迎えられたようだ。
「日本復興には技術しかない」急成長中の電気・電子産業を志す
そんな「京」の開発思想には、渡辺氏が社会人になった時から持っている仕事観と通じるところがある。
「単なる研究のため、自分の好奇心を満たすために特別なものをつくって『はい、できました』ではダメ。『使ってもらって初めて意味がある』と会社に入ったころから思っていました」
そのような考えを持つようになった発端は、小学校のころにまでさかのぼる。担任の先生がことあるごとに力説したのは「これから戦後の日本が復興して生き残る道は、“頭”しかない。技術しかない」ということ。まだ小学生だった渡辺氏に向けて、ことあるごとにそう語り掛けたそうだ。
「技術しかない」という先生からの薫陶を受けた渡辺氏は、東京大学工学部に入学。日本のエレクトロニクス産業が急成長を遂げる様を見て、当時の一番人気だった電気・電子系の専門課程に進もうと勉学に勤しんだ。
大学院に進学する学生が今とは逆に2割程度しかいなかった時代。「まだまだ勉強が不十分」と思っていた渡辺氏は、大学院進学を決意。東京大学大学院工学系研究科の修士課程に進み、東京大学の中でもまだ何台もなかったコンピュータを使って、コンピュータの設計をする研究に取り組んだ。
博士課程に進むことも考えたが、企業で働くには修士が限界。博士にまで進んでしまうと、現在以上に就職活動で苦労することは間違いなかった。そこで渡辺氏は、修士を区切りに就職を考えた。NECや富士通など、日本にまだ5~6社程度だったコンピュータを開発しているメーカーの中から、就職先を選ぶことにした。
入社すぐコンピュータ開発本部に配属
平均年齢30歳以下の職場でキャリアをスタート
その中から渡辺氏が就職先に選んだのはNEC。大型コンピュータを開発しようとコンピュータ開発本部という部署が設けられたばかりだったが、渡辺氏は逆にそれが良いと感じていた。
「既存の組織に入っていくのなら『自分でも大丈夫かな』と不安になったでしょう。でも、新しい組織ならみんなゼロからのスタート。『新しい部署で新しいものを始められるな』と思いました」
工場実習などの新人研修を経て、入社して半年後にはコンピュータ開発本部へ配属に。50人ほどの部署だったが、新入社員が10~20人。それ以外の社員も、2~3年目の若手や研究所から来た中堅ばかり。平均年齢30歳以下の職場で、いきなりコンピュータを開発する仕事を任されることになった。
「徹夜に休日出勤は当たり前だった」と渡辺氏。激務ではあったが、新しい技術が続々と登場し、いろんな形の新しいコンピュータが現れる状況に胸躍らせた。「もっとコンピュータのことを学びたい」という知識欲も刺激され、自主的に休日出勤してまで貪欲に学習する日々を送っていたという。
提供:独立行政法人理化学研究所
AIから指紋照合のシステムまで。「京」に至るまでの道のり
NECでの勤務開始から「京」のプロジェクトリーダーを務めるまで、コンピュータ開発のキャリアをずっと歩み続けてきた。
渡辺氏はNECでスパコンの「SXシリーズ」や、2002年から2年半にわたって世界最速の座を守っていた「地球シミュレータ」の開発でも重要な役割を果たしている。常に日本のスパコン開発をリードしてきたのだ。
その実績が認められ、2006年には高性能計算分野で重要かつ革新的な貢献をした証である「シーモア・クレイ賞」を米国電気電子学会(IEEE)から授与されている。日本人では初めての快挙だった。
その一方で、ちょっと変わったコンピュータの開発も手掛けたことがあるのだとか。例えば、人工知能(AI)を生み出すことを目的に始められた第5世代コンピュータ開発のプロジェクトでは、研究所から生まれた最先端の研究成果を基に製品として使えるシステムを開発。JAL乗務員の勤務シフトを組む際に使われる管理システムなどに利用された。
ほかにも、NECがリードしてきた指紋照合の技術を活かしたシステムも開発してきている。こちらも研究所で育まれた技術を製品化。この指紋照合システムは日本の警察庁で指紋調査に使われるようになったほか、サンフランシスコ市警、シカゴ市警など、世界各地でも採用されるシステムとなった。
「指紋照合のシステムで思い出すのは、パトリシア・コーンウェルという推理小説家が書いた『検屍官』シリーズですね。主人公がリッチモンド警察の検屍官で、指紋照合装置を使って犯人を突き止める話が出てくるんです。その装置がまさにリッチモンド市にNECが販売したもの。小説の中で登場した時には『これだ!』と思いました(笑)。技術者冥利に尽きますよね。こういう風に役立っているんだと」
研究所発の技術を、製品化して世の中に送り出すことで、直接的に成果を確認できる。そこに技術者として大きなやりがいを感じ、ずっとやってきたのだと渡辺氏は話している。
パッとしない時期があっても、能力と熱意があれば目標は達成できる
コンピュータ開発にキャリアのすべてを注ぎ込んだ渡辺氏。年齢を重ねるごとに、求められる役割も変わってきたという。プレイヤーとして設計開発に携わったのは30歳半ば過ぎがピーク。そこからはそれまでの経験を活かしながら、全体をマネージメントする仕事が増えてきた。
「スパコンは発明品ではありません。そうではなくて総合力。これまで育んできた技術や経験を集めてつくるもの。1人でつくれるものではありません。
『京』の開発でも、私は古い人間なので、細かいところはほとんどみなさんに任せています。プロジェクトが間違った方向に行っていないか、ちゃんと開発が進んでいるかとチェックすることが仕事ですから。そういう意味で、現場の人たちの力こそが、今回の成功要因だと思います」
技術者としてのキャリアを全うしてきた渡辺氏が若者に送るアドバイスは、「キャリアを上手く築いていこうと思わないこと」。自分にしっかりとしたバックグラウンドさえあれば、一時期はパッとしない時期があっても、認めてくれる人は絶対に現れる。「私自身も落ち込んでいた時期はある」と語りながらも、渡辺氏は「最後はどれだけ自分に能力があるか。目標を達成するために熱意があるか。自分の持っている能力なり運なりがあれば、目標は達成できると思うのです。努力して、不遇の時は忍耐が大事」と助言してくれた。
「この会社は安泰か」ではなく「自分の技術が活きるか」で会社を選んでほしい
これから就職活動を迎える理系学生。渡辺氏は社会に出ようとする若者に、次のような視点で就職先を考えてほしいと望んでいる。
「私は会社に入った時、社長になろうとか偉くなろうとか、まったく思っていませんでした。自分の能力なり技術なりが正当に評価されて、持っているものを発揮できれば、それで満足だったのです。 どういう人生を送りたいかは、人それぞれ。『これが良い』とは誰にも言えないでしょう。
でも、技術者として自分の能力を活かしたいのだったら、能力を発揮できる会社、能力を評価してくれる会社を選ぶべきでしょう。入社する会社が発展するかどうかなんて、気にする必要はありません。今の世の中は転職も比較的容易ですから、『この会社は安泰か』と気にするよりも、『自分の技術が活かせるかどうか』で会社を選んでほしい。今の子たちには、そういう観点で就職先を選んでほしいのです」
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