トップインタビュー(ドリームインキュベータ 代表取締役社長 山川隆義)


「未来のソニー・ホンダを100社育てる」という理念のもと2000年に設立された日本発の戦略コンサルティングファーム、ドリームインキュベータ(DI)。同社は一企業に対するコンサルティングだけでなく政府や大企業を巻き込んで産業そのものの創造(産業プロデュース)や事業投資を行い、子会社化した事業会社の経営にも取り組んでいる。そのDIの山川隆義 代表取締役社長は理系出身。新卒でメーカーに就職したものの、ボストン コンサルティング グループ(以下BCG)に転職し、コンサルティングの現場で理系の素養を活かせることを体感する。全く異なる業種に飛び込み、理系の素養を活かして新たな道を切り拓いた山川氏のキャリアについて話を聞いた。


PROFILE

山川 隆義(やまかわ・たかよし)
株式会社ドリームインキュベータ 代表取締役社長

 

京都大学工学部および同大学院精密工学修士(生産システム専攻)。横河ヒューレットパッカード株式会社(現在の日本HP)、株式会社ボストン コンサルティング グループを経て、ドリームインキュベータ(DI)創業に参画。 DIでは、ベンチャーの投資・育成、大企業コンサルティングともに、数多くのプロジェクトに従事。ベンチャー分野では、多くの企業のIPOに貢献すると同時に、新規ビジネスの創出、新たなビジネスモデルの発掘を手がける。また、大企業コンサルティング分野では、「日本の強みを世界に展開」するため、ハイテク、消費財、エンターテイメントの分野を中心にプロジェクトを実施し、新たな事業創出に取り組んでいる。

 

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バブル経済の絶頂から崩壊へ


新卒でメーカーに入社し、BCGを経てドリームインキュベータ(DI)の創業に参画。現在は国内有数のコンサルティングファームの代表として精鋭コンサルタント集団を率いている山川氏。華々しい経歴に見えるが、そのキャリアの歩みだしは決して順風満帆ではなかったという。 理系科目が得意だったという山川氏は大阪の進学校を経て、京都大学工学部に入学。大学院では生産ラインの最適化をテーマにした研究に取り組み、修了後は横河ヒューレットパッカード株式会社(現在の日本HP)に入社する。

「正直なところ、強い意志を持って大学の専攻分野を選択したというわけではありませんでした。80年代は日本の製造業が世界を席巻していた時期。機械系なら潰しが利きそうだと考えていたくらいです。就職活動についても、当時はバブル景気でしたので、あまり深く考えることなく、研究室の先輩が活躍していた企業に就職しました」

とはいえ、入社式で総代として挨拶を行い、理系就職の花形である研究開発部門に配属された山川氏は、会社から将来を嘱望される新人の一人だった。順調に進んでいくと思われた山川氏の会社員人生だったが、早々に大きな壁にぶつかることになる。当時、半導体検査装置や計測機器を主力製品としていた横河ヒューレットパッカード株式会社は、世界最強を誇った日本の製造業の成長とともに業績を伸ばしていた。ところが入社して間もなくバブル経済が崩壊。多くのメーカーが苦境に立たされる。同社の主力製品である半導体計測装置や電子計測器の売上は低迷し、山川氏もソフトウェア開発へ異動。ほどなくその部門も解散。「入社3年目にして仕事がなくなり、社内で干されているような状態になりました。この会社で順調にキャリアを築いていけると思っていたのに、これはまずいことになったと。何とかしなければと焦りましたね」


「環境を変えなければ成長はない」恩師の言葉に背中を押されコンサル業界へ


このまま会社に将来を委ねていても展望は開けないと考え、山川氏は新たな活躍の場を模索し始める。そして他業界で活躍している友人らから話を聞き、コンサルティングファームという業態を知ることになる。今でこそコンサルティング業の認知度は高まっているが、当時は認知度が低く、どんな仕事をやっているのか山川氏も十分に理解していたわけではなかった。しかし、「ボストン コンサルティング グループという会社が理系やITに詳しい人材を歓迎している」と聞いて、選考を受けてみることに。周囲からは「何をやっているところなんだ?」「大丈夫なのか」と心配され、考え直すように言われることもあったという。山川氏の最終的な決断を後押ししたのは、大学時代の恩師が常々言っていた「若いころは新しい環境にどんどん飛び込まなければ、成長できない」という言葉だった。

「学部と同じ大学の大学院に進学を考えていた際に教授から、『君は環境(大学)を変えないの?』と言われました。日本では大学院進学の際に、異なる大学の院に進学する人は少数ですが、アメリカでは大学も仕事も変えることに躊躇がない。アメリカ帰りの教授に、当然のように言われたのが印象に残っていました。

当時の上司に退職を告げた時も最初は慰留されたのですが、『どうなるかわからないけど、転職します』といったら、『どうにかなるじゃなくて、どうにかするという気持ちでやれ』と背中を押してくれました。考えてもわからないなら腹をくくってやるしかないなと、コンサルティング業界に飛び込むことを決意しました」

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自分の限界に挑むことで開けた視界


メーカーからコンサルティングファームへと、活躍の場を大きく変えた山川氏だったが、転職当初は両社の仕事内容や風土の違いに戸惑ったという。

「まったく違う環境に行ったわけですから、最初は本当にきつかった。向いてないと思ったし、辞めようと考えたこともあります。しかも、周囲はハーバードやスタンフォード出身のMBA保有者がゴロゴロいて、自分にはそんな肩書きもない。自分が一番どん尻だろうと思っていました」 そのような環境で、山川氏は「人の倍働いて追いつくしかない」と決意する。深夜2時まで働き、午前5時には出社するという生活でがむしゃらに働くが、それでもなかなか成果は出ない。先輩コンサルタントに指示されたタスクはこなすことはできるが、なんのために「このタスクをやれ」と依頼されているのかがわからない。「先輩コンサルタントの着眼点や考え方は雲の上のように感じ、一生追いつけないんじゃないかと思いました」と語る山川氏だったが、圧倒的な業務量が突破口を開く。「あるとき、視界が一気に開けたような感覚になりました。自分の限界に挑む中で、臨界量を超えたんでしょう」

コンサルタントとしての才能を開花させた山川氏は、数多くのプロジェクトを成功に導き、最終的にはマネージャー(現:プリンシパル)にまで昇進する。その後、当時のBCG日本代表だった堀紘一氏に声をかけられ、ドリームインキュベータの創業に参画することになる。


産業の動向に左右される側から産業そのものを作り出す側に


「未来のソニー・ホンダを100社育てる」という理念を掲げ、設立されたドリームインキュベータ(DI)。山川氏もDIで数多くのベンチャー企業のインキュベーションを手掛け、ベンチャー企業の可能性や経営支援の醍醐味を実感する。

「ベンチャー企業を立ち上げた社長には、人間的に大きな魅力を持った人が非常に多いんです。そんな方々と出会えることができたのは、個人的にも大きな収穫だと感じています。そういったベンチャー企業、そして日本の産業全体を今後ももっと盛り上げていきたいと考えています」

近年DIが注力しているのは、産業そのものを育成する“産業プロデュース”という試みだ。法制度やビジネスのしくみから整備することで、より民間企業が力を発揮することができると山川氏は語る。

「日本だと法規制があると、企業は素直に受け入れてしまう場合が多いのですが、アメリカだとベンチャー企業からの働きかけで法規制がどんどん変わっています。政府や大手企業と連携して巻き込んでいくことで日本のベンチャー企業の可能性はもっと広がっていくはずです。どんな優れた企業や技術があっても、単体では限界がある。新しいことを成し遂げるために、いろんな人を巻き込んで法制度や仕組みを作り上げていくことで日本の産業をもっと盛り上げていきたいと考えています」

かつて産業全体の浮沈にキャリアを左右された山川氏は、産業そのものを作り上げることに挑んでいる。

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ゼロから研究テーマを考えた経験がコンサルティングに活きる


理系とコンサルタント、一見縁遠いように感じる学生も多いかもしれないが、「大学での研究とコンサルティングは、共通するエッセンスが少なくない」と山川氏は自身の経験を振り返る。

「研究テーマを検討する際に教授から『自分の頭でゼロから考えろ』と言われました。テーマから決めるというのは、関連領域のリサーチ状況など幅広く把握し、研究自体の価値や意義も精査しなければなりません。調べても調べてもテーマが決まらず、先が見えなくて不安でした。

ただ、当時経験したことはコンサルティングにおける日常であって、本質は同じです。自分自身で課題を見出し、解決しなければならない。クライアントにおける企業戦略の問題点はどこか、どんな新規事業を推進すればいいのか。様々な情報を収集して視野を広げて全体感を持ち、徹底的に考え抜くことが求められるのがコンサルティングなのです」

山川氏はもう一つの共通点として、「様々な事象から共通性を見出すことに長けている点」を指摘する。コンサルティングで重要なのは、一見無関係な事象や法則性のなさそうなものを要素分解して共通項を見出していくこと。そこに問題の本質、ロジックがあるという。

「ビジネスの現場を見てみるとサービスの世代交代や、先進国ですでに起こった変化が途上国でも起こるという事例は数多い。いずれの変化も、きっかけは必ず存在しており、そのメカニズムがわかれば、将来を見通すことができる」と山川氏は語る。

「過去と現在の情報を照らし合わせていけば様々なことが見えてきます。いま、『中国で著作権ビジネスをやろう』と言うと多くの人が『著作権に関する意識の低い中国でビジネスが成立するわけがない』と否定するでしょう。しかし、振り返ってみると日本だってかつてはコピー製品があふれていた時代があった。何がきっかけで日本が変わったのかというと、日本人がオリジナルの製品を数多く生み出すようになったから。中国がオリジナル製品を多く生み出し、特許を取得するようになればどこかで大きなビジネスチャンスが生まれる可能性は十分にあるでしょう」


自分の持っているエッセンスがどこで活きるのかを考えてみては


理系の素養を活かして、コンサルティング業界で数々の実績を残してきた山川氏。最後に山川氏から、これから将来を考える理系学生に向けたメッセージをもらった。

「まずは自分の限界を決めつけないこと。自分で限界を決めると想像以上の変化はないし、大きな成長は期待できません。私もコンサルタントとして成功できるという自信なんて全くありませんでしたが、飛び込んだ以上は『どうやったらできるのか』を常に考え全力で取り組みました。限界があると感じているならそこに手を伸ばし、触れてみてください。自分が考えているよりも伸びしろはあるはずです。

もう一つは、将来の選択肢を考えるうえであまり理系、文系というくくりにとらわれないでほしいということ。決して、今までやってきたことを否定するわけではありません。私も学生の頃には気が付かなかったのですが、専門領域にとらわれ過ぎると見える世界が狭くなります。しかし、自分が培ってきたエッセンスを活かせるフィールドは他にも豊富にあり、その中に自分が本当にやりたかったことが見つかる場合もあります。弊社でも理系出身の新卒のみならず、中途入社でもホンダのF1エンジニアやソニーのゲームハード開発者など元エンジニアが活躍している場面が見受けられます。自分の持っているエッセンスはどこで活かすことができるかを考えたほうが、キャリアを積んでいくうえでベストな選択ができるはず。そんな考え方を持って将来を考えてほしいですね」