国家戦略の重点分野にも挙げられ、注目が高まっている量子技術領域。量子技術の利用者の増加や産業の拡大が政府の目標にも掲げられ、多様な分野での社会実装が期待されています。今回は、一般社団法人量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)で人材育成ワーキンググループリーダーを務める株式会社Beyontの取締役CTO・小縣氏に、量子技術領域の現在地や活躍フィールド、量子技術の可能性などを伺いました。(取材日:2026年10月6日(火))
PROFILE
小縣 信也(おがた・しんや)
株式会社Beyont 取締役 CTO
一般社団法人量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)
人材育成ワーキンググループリーダー
【一般社団法人量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)について】
量子技術を活用した新しい産業の創出と日本の国際競争力強化を目的とする団体。2021年9月に設立され、企業・大学・研究機関が連携しながら、量子技術の社会実装やスタートアップ支援を推進。量子コンピュータや量子通信、材料・デバイス、人材育成などの幅広い分野で、産業界が中心となり、量子技術の社会実装を支える量子エコシステムの構築に取り組んでいる。
社会実装に向けて。量子技術関連産業の現状と展望
量子技術とは、電子や光子などのミクロな世界で現れる量子力学特有の性質を応用した技術です。代表的なものに、特定の問題で従来のコンピュータを大きく上回る計算能力が期待される「量子コンピュータ」、盗聴の検知を可能にする「量子通信・暗号」、超高精度な測定を可能にする「量子センサー」などが挙げられます。
量子技術は現在、社会実装に向けてユースケースを開拓しているところです。まだ研究段階にある部分も多いのが現状ですが、物流・金融での組み合わせ最適化や、素材開発での量子化学計算などへの応用が期待される量子コンピュータの活用が本格的に検討されています。
また、量子技術を提供する製造側の裾野の広がりにも注目です。量子コンピュータ本体の開発はアメリカや中国が先行しています。日本も国産機を開発していますが、加えて部品やサプライチェーンに強みがあります。まさに日本の多様な製造業の技術力が活きる領域であり、コンピュータ本体だけでなく、部品メーカーやサプライチェーン全体が活性化していく可能性を秘めています。
本格普及の時期は明言できませんが、量子技術は政府の重点分野に位置づけられており、大規模なプロジェクトも動いています。国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)に量子コンピュータを用いたクラウド利用のデータセンター基盤が整備されるなど、日本国内でも実用化に向けた環境は整いつつあります。
量子技術の活躍フィールドとやりがい
量子技術関連の仕事は、大きく二つに分けられます。一つ目は、量子コンピュータやセンサー、通信デバイスのハードウェア・ソフトウェアを開発する仕事です。大手企業の研究所、あるいはアカデミア発のスタートアップというキャリアパスもあるかもしれません。
二つ目は、企業の中で量子技術を自社のビジネスに応用し、課題解決を図る関わり方です。企業の競争力を高めるうえで、今後とくに価値が高まると予想されるのがこのポジションです。生成AIをツールとして使うように、他社が作った量子コンピュータの仕組みに単に計算を任せるだけでは、企業の競争力にはつながりにくいでしょう。自社の事業ドメインを深く理解したうえで、量子の特殊な振る舞いをどのように自社ビジネスと掛け合わせ、新しい仕組みや価値を創出できるかを考えられる人材が求められています。こうした人材は、きわめて高い希少性と市場価値を持つことになるでしょう。
量子技術の領域は、AIのように「何ができるか」が既にある程度見えている分野とは異なり、まだ誰も生み出していないものが数多く眠っています。その意味では、宇宙開発に似た部分があるかもしれません。未知の領域を開拓し、新しい可能性を自分自身の手で切り拓けることが、この分野最大の面白さであり、やりがいと言えるでしょう。
数学の素養が活きる。求められるスキルとマインドセット
量子技術に関わる仕事というと、物理学の専門知識が必須だと思われがちですが、決してそうではありません。たしかに「量子力学」や「量子情報」といった分野は専門的な物理学の領域ですが、社会実装のフェーズでは、量子状態や演算を「行列」などを用いて数学的に表現し、計算・活用する場面があります。データサイエンティストやソフトウェアエンジニアなど、数学に強い理系人材であれば、専門外の領域からでも十分に活躍のチャンスがあります。
また、化学分野において分子シミュレーションを行っている学生などは、とくに親和性が高いでしょう。個人的には、大規模言語モデル(LLM)のような機械学習の分野と量子コンピュータの親和性にも大きな期待を寄せています。
そして量子技術に関わるうえではマインドセットも重要です。量子の世界では直感と異なる現象や、意味がわからないような不思議な振る舞いが起こります。そうした曖昧さや未知のものを「そういうものだ」とまずは受け入れ、それをどう社会に生かせばいいかと前向きに考えられる柔軟性が不可欠です。また、量子分野は技術の進化が速く、「唯一の正解」がない未成熟な領域でもあります。だからこそ、変化を受け入れて主体的に挑戦し、自律的に学び続ける姿勢こそが、量子領域を切り拓く力になります。
Q-STARの人材育成ワーキンググループでは、企業や教育機関が共通認識を持って人材育成を進められるよう、量子技術に関わるスキルセットを体系化した「量子スキル標準」を策定・公開しました。すべてのデジタル人材が共通して身につけるべき基礎リテラシー「量子リテラシー標準(QSS-L)」と、量子技術の研究開発や社会実装、事業化を直接担う専門人材向けの「量子プロフェッショナル標準(QSS-P)」の2層で構成されており、これからキャリアを描く理系学生にとっても指針となるはずです。
●量子リテラシー標準の構成
●量⼦プロフェッショナル標準の構成
量子技術は、理系のキャリアの可能性を広げてくれる
量子技術は着実に社会実装に向けて進んでいます。将来的には、計算環境はCPUやGPUだけでなく、量子コンピュータを担う「QPU(量子処理装置)」が加わることが予想されます。「このタスクはQPUに任せよう」といったように、それぞれの技術を組み合わせて最適な問題解決を行う時代が訪れるでしょう。
理系学生の皆さんには、現在のAIのように、量子技術についても「一つの選択肢」として基礎を学んでおくことをお勧めします。専門家とまではいかなくても、必要な時に自分で調べられるような「量子技術の地図」を頭の中に描いておくことが大切です。AIにはない人間ならではの発想力を活かし、将来的に技術革新が起きた際にも正しい選択ができる素地を養っておくことが、皆さんの今後のキャリアをより可能性に満ちたものにしてくれるはずです。

