研究開発〈IT編〉

3年後のビジネスへの貢献を目標に

先端技術を開発し、世の中に新たな価値を生み出す「研究開発」。理系学生にとって身近な〝研究〟ですが、民間企業における研究活動の実像を正確に理解している方は少ないかもしれません。「民間企業と大学における研究の違いとは」「研究活動に臨むうえで求められる力とは」――常に3年先のビジネスを見越し、IT領域の応用研究に取り組んでいる新日鉄住金ソリューションズのシステム研究開発センター部の馬場俊光氏に「企業における研究開発」について話を聞きました。

少し先の未来を自分達で創造する

システム研究開発センターでは、研究テーマの設定は「3年後、ビジネスに結びつく」ことを目標にシーズを見つけるところから始まります。これは日々の情報収集から先端技術の種を見つけることもありますし、当社が手掛けるSI事業の現場より上がってきた課題や要望からテーマを設定することもあります。研究テーマを設定する際に私が研究者に問うのは、前例のない「技術先進性」、余所が真似できない「差別性」、汎用性が高く経済効果が大きい「波及性」、一過性でなく長期的に事業継続できる「持続性」の四つの観点です。これらの観点で吟味されたテーマは毎年数十にのぼります。

近年の具体的な研究事例を挙げましょう。今では誰もが知っている「クラウド」ですが、この単語が世に広まるずっと前から我々の研究所では大規模な生産計画を高速に作るための並列処理技術に取り組んできました。最初は高速計算用に開発した並列技術は、やがて仮想化技術と組み合わせることで応用範囲が飛躍的に拡大することに気づきました。この発想はクラウドの基本コンセプトそのものだと言えます。いち早く研究に取り組んでいたことが現在の当社のビジネス優位性確保につながったと考えています。そのほか最近では、製造業の現場で光学透過型ヘッドマウントディスプレイを用いたAR(拡張現実感)で作業者を支援する技術や、先端的アルゴリズムによって高度な意思決定を支援する技術などの研究を行い、実用化を進めています。

様々な角度から調査し、ビジネスにおける実用性を検証

テーマが決まると次はビジネスの世界で通用するかどうかを評価・検証します。最先端の技術はもちろん、テーマとしては以前から研究されているものの、技術的な制約で実現していないものも数多くあります。そういった研究テーマを、「現在のテクノロジーでどこまで実現が可能なのか」技術的な側面を中心に検証を行います。たとえば「カタログ通りの機能および性能を発揮するのか」ユーザーの立場に立って客観的にチェックします。必要なら、自分たちで「ソースコードまで読み込む」など、実現の可能性やリスク回避手段をしっかり見極めていきます。

技術検証の目途が付いたら、ビジネス応用を想定した検証を行います。これはPOC(Proof Of Concept/概念実証)という試作の前段階のフェーズで、ビジネス現場における使用性や性能といった評価項目を設定し、実用に耐えうるかを様々な角度から検証します。いくら技術単体で優れていても、システムを構成する他の技術が追いつかなかったり、リアルユーザーのニーズとずれていたりすればビジネスとして受け入れられません。そういった視点を含めて、現場と一緒になって検証することが重要となります。

POCをクリアしたら、いよいよ実用化フェーズです。POCで浮彫りなった課題に対処することはもとより、現場エンジニアが安心して新技術を活用できるよう汎用的な技術・サービスとして洗練し、ドキュメントの整備なども行います。それができたら、実際のプロジェクトに初適用し、ビジネス上の効果を現場エンジニアとともに実証します。実用化フェーズで難しいのは、予算や工期といった制約下でいかにしてプロジェクトに新技術を提案できるか、という点。「新技術があるので使ってください」と言ってお願いするだけでは、現場は受け取ってくれません。未経験なモノにはリスクが伴います。初めて導入する際は、それを作った研究者が実際にプロジェクトに入り込んでシステムが動くところまでサポートします。現場のエンジニアにも、クライアントにも価値を感じてもらい、安心して新技術を活用してもらえるよう、研究所に座っているだけでなく現場に入り込んでサポートすることも私達の重要な仕事です。

信念を持って、自分が決めたテーマをやり抜く

大学における研究は社会に役立ちそうであれば、比較的自由にテーマを設定することができますが、企業における研究はビジネスとの結びつきや市場投入時期など、“出口”を明確にすることがより求められます。この意識の違いが、企業と大学における研究の一番の違いといえるでしょう。企業における研究は出口が明確ゆえに、様々な制約も生じますが、「うまくいけば数年後に自分の手掛けた研究成果が世界に広がっていく」という醍醐味を感じられるのが面白さでもあります。

研究者として求められる素養について言うと、私は「打たれ強さ」だと考えています。民間企業において、中長期的な視点で研究に取り組む研究開発部門と、目の前のクライアントが抱える課題解決に勤しむ事業部門は、必ずしも利害が一致しないことも少なくありません。外部から「その研究は何の役に立つのか」と言われることもあるかもしれません。しかし、私達のミッションは、将来の新技術、ビジネスの種を生み出すこと。3年後、5年後を見据えなければ生み出せない付加価値は必ずあります。外から何を言われても信念を貫き、自分が決めたテーマをやり抜く。研究者には、そんなしたたかさと自己実現意欲が必要なのです。

私自身、かつて製鉄所における自動化システムにAIを導入する研究に取り組んでいた際、周囲は「本当に実用化できるのか」と懐疑的で、途中で何度も研究を止めようと思いました。しかし、5年後そのシステムは実用化され、社長表彰を受けるに至りました。信念を持って研究を続けることで、周囲の状況も変化していき、認められることもあるのです。3~4年は逆境でも、最後の1年で光が当たればいい、それくらいの覚悟で研究に取り組んでほしいですね。

これから必要なのは、人間の強みを引き出すIT

いまやほぼ全ての企業に情報システムが行きわたり、手つかずの“宝の山”はもはやありません。そのような状況下で、私達は新しい付加価値を生み出し、提供していかなければなりません。既に車を持っている人に新しい車を買ってくださいと言うようなものですので、本当の意味で「ユーザー企業の役に立つ」ということを真剣に考えなければ、存在意義を見出すことは難しくなっていくでしょう。

今後10年、20年で人間とITの関わり方は大きく変わるでしょう。これまでは、「人間は間違ったりサボったりするものだから、ITで自動化しよう」という考えが根底にありましたが、それが行き過ぎるといつか破綻します。福島第一原発事故で被害を抑えることができた一因は、当時の吉田所長を筆頭に現場の人間が極限の状況下で知恵を絞り、限られたリソースを最大限活用し、考えうる最善の対応をしたからでした。その姿を見て、「人間はミスも犯すけれど時には誰も予想できないような素晴らしい活躍をする存在である」という大切なことをいつの間にか忘れ、むしろ切り捨ててきたのではないかと深く考えさせられました。現代のシステムは複雑化・大規模化する一方です。従来はなるべく人間の介入を排除するように作られてきましたが、想定外の事態が発生した時、最後の拠り所となるのは人間の活躍なのではないでしょうか。今日、スマートフォンやメガネ、腕時計と一人で何台ものコンピューターを身にまとうのが当たり前になりました。知覚、認知力、創造性、そういった人間ならではの強みや良さを引き出し、システムと融合させる。そんな考えがこれからのITの潮流になると私は信じており、取り組むべき研究のひとつだと考えています。


馬場 俊光(ばば・としみつ)

■協力:馬場 俊光(ばば・としみつ)
新日鉄住金ソリューションズ株式会社
技術本部 システム研究開発センター
イノベーティブアプリケーション研究部 部長
東北大学大学院 工学部原子核工学専攻(当時) 修了